出動現場でも繰り返された暴言 相談からようやく動いた消防組合
草加八潮消防組合に勤務する50代の男性課長が、出動現場などにおいて部下に対し繰り返し暴言を浴びせていたとして、懲戒処分(減給10分の1、2か月)を受けた。2025年7月、組合が公式に発表した。
処分の理由とされたのは、課長による人格を否定するような発言の繰り返しであり、該当職員は業務上の強い精神的苦痛を受けていたという。発言の場面は職場内にとどまらず、実際の出動現場でも行われていた。
当該職員は上司や組合に対して複数回にわたり相談していたが、それだけでは何の是正措置も講じられなかった。事態が動いたのは、組合が調査委員会を設置したあとであり、そこでようやく事実が確認されたとして懲戒処分が発表されたという流れである。
この一連の流れの中で、最大の問題は、相談を受けても組織は自力で動かず、外部的な委員会を通さなければ実態すら把握できなかったという点である。
組織内部では処理できず「調査委員会頼み」 説明文に表れた異常性
草加八潮消防組合の発表は、「被害職員の相談を受けて調査委員会を設置し、事実が明らかになった」という構成になっていた。
一見すると、手続きを踏んで丁寧に対応したかのように見えるが、よく考えるとこの説明は極めておかしい。つまり、調査委員会を設置しなければ、事実は明らかにならなかったと自ら認めているようなものなのだ。
しかも、発端は職員の直接的な相談である。問題行動があった現場は出動中の隊内であり、周囲の複数の職員も状況を認識していた可能性がある。にもかかわらず、組織としては相談を受けても独自に調査せず、外部的な枠組みを設けるまで動けなかった。
これでは、内部にまともな人間がいないことや職員相談制度が機能していないと捉えられても仕方がない。仮に調査委員会が設置されていなければ、今もなおこの課長は現場で暴言を続けていたかもしれないのだ。
今回の対応は、「調査委員会を通じてしか真実を確認できない」という歪な前提が制度として定着していることを示している。これは草加八潮消防組合だけの話ではなく、近年の多くの地方公共団体で見られる傾向である。
被害者の苦痛は現場で続いていたのに…処分はたった2か月の減給
もう一点、深刻なのは処分の軽さである。
報道では、課長の言動が人格を否定する発言であったこと、またそれが出動現場という極度の緊張空間でも繰り返されていたことが明記されている。これは単なる人間関係の不和や職場の空気の悪化ではなく、命を預かる職場における重大な妨害行為である。
にもかかわらず、組合が下した処分は、わずかに「減給10分の1、2か月」。降格もなく、配置転換などの措置も取られていない。事実関係を認定した後の処分がこれでよいのかという点について、多くの疑問が残る。
実際に、ヤフーニュースのコメント欄やSNSには、以下のような短く感情的な投稿が並ぶ。
・【こんなやつが現場にいたのか】
・【処分が甘すぎる】
・【これで終わりかよ】
・【消防ってこんなんばっか】
内容はいずれもパワハラそのものへの怒りや不信に集中しており、組織の構造や制度そのものに対する冷静な分析は見られない。それだけに、組織側がどのように説明し、再発を防ぐかという姿勢が問われている。
しかし今回の発表では、再発防止策や職場環境の改善に関する言及はなく、事実確認と処分の発表だけで終わっている。これでは、市民の信頼を得るのは難しい。
草加八潮消防組合に繰り返される「調査委員会頼み」の構造
草加八潮消防組合といえば、【道路陥没事故】の対応でも、同様の構図が見られた。
このときも、問題が発生した直後に自ら調査・原因の特定・再発防止策の策定といった対応を行うのではなく、後になって【有識者による委員会】を設置し、そちらに検証を委ねるという姿勢が取られた。
結果として、市民からは「なぜ消防が自分たちで何も調べないのか」「誰かにやってもらわないと何もできないのか」といった不信の声が上がることになった。
今回の暴言課長の件と合わせて見ても、草加八潮消防組合には共通する組織運営の特徴が浮かび上がる。
自分たちでは調べない 責任の判断も他人に委ねる 制度的に処理されるまで実態を無視する
このような体質は、公務員組織全般に見られる傾向でもある。だが、消防という現場主義の職種でこれが常態化していることは、より深刻である。
なぜなら消防は、火災・事故・災害などの緊急事案に対応し、市民の命と財産を守る最前線である。迅速な判断と責任の明確化、現場の信頼関係があって初めて機能する組織であり、誰かが検証してくれるまで動けないという姿勢が許される現場ではないからだ。
組織内のハラスメントすら即時に対処できないのであれば、災害対応の場面でも同様の遅れや混乱が起きる可能性は十分にある。実際、暴言の場面が出動現場であったという報道内容からして、すでに組織内の信頼関係は損なわれていたと見てよい。
「再発防止策なし」のまま処分だけを公表する無責任
今回の組合発表では、事実の認定と処分の内容については記されていたものの、【再発防止策】や【被害者に対する支援措置】については一切触れられていない。
たとえば、加害者となった課長がその後どのような立場にあるのか、管理職としての職務を続けているのかどうか、配置転換があったのか、あるいは被害職員の勤務環境が改善されたのか。こうした情報は一切公開されていない。
これでは、処分を表向きに発表しただけで、実際の運用には何の変化もない可能性すらある。
ネット上でも、
・【また何も変わらない】
・【発表したから終わりってこと?】
・【どうせまた同じことが起きる】
といった、やや諦めにも近い反応が多く見られる。厳しい糾弾ではなく、期待すらしていない空気感である。
こうした麻痺が広がっていくことこそが、消防という組織にとって最大のリスクである。市民の信頼が失われ、現場の士気が下がり、職員が声を上げることをやめるようになれば、いずれ重大な事故や不祥事を生む温床となる。
「自分たちで調べる力がない」ことを前提とした制度運用
本来、公的機関には自律的に調査・判断・対処する責任がある。たとえそれが都合の悪い事実であっても、自分たちで調べ、認め、向き合うことで初めて組織は信頼される。
ところが今回のように、「相談があった → 調査委員会を設置 → 事実を確認 → 処分発表」という形式が当たり前のように繰り返されていることで、行政組織において自分たちで調べられないことを前提とした制度運用が常態化してしまっている。
これはいわば、責任の分散と決定回避の仕組みであり、ミスをしても誰の責任か曖昧になり、誰も責任を取らなくてよいという構造を作り出す。
その中でも消防は、命を預かる特殊な現場組織であるという点で、他の行政機関よりもさらに高い自己管理能力が求められるはずだ。だが、今回の草加八潮消防組合の対応を見る限り、そうした能力は機能しておらず、むしろ形式的な手続きに頼って問題処理をしたふりをする組織文化が根付いている印象すらある。
「消防の不祥事」がまた一つ積み重なっただけの終わり方
今回の件で最も残念なのは、誰の目にも明らかな問題が発生し、調査と処分まで行われたにもかかわらず、最終的にはまた消防の不祥事が一つ増えただけという空気で終わってしまっていることだ。
原因の特定も、再発防止も、説明責任も、組織改革もない。関係者の処遇も曖昧なまま。処分の軽さもあり、外部の人間から見れば「何が変わったのか分からない」という印象しか残らない。
それでいて、次にまた同様の問題が起きれば、同じように調査委員会を設けて処分だけを発表し、形を整えて終わりになるのだろう。
これが今の草加八潮消防組合の現実であり、そして全国の多くの消防本部が陥っている【調査委員会依存の無責任体質】の縮図である。