部下へのハラスメント行為を繰り返したとして、大和市は17日、市消防署南分署の救急隊の男性分隊長(41)を戒告の懲戒処分にしたと発表した。
市によると、分隊長は2020~21年度に勤務していた消防署警備二課の事務所内で、複数の署員に対して激しい叱責(しっせき)や「使い物にならない」など人格を否定するような発言などのパワーハラスメントをした。女性署員へのセクシュアルハラスメントに該当とする不適切な言動もあった。
引用元:神奈川新聞
世間の意見
加害者擁護
人様の生命、仲間の生命を左右する現場…厳しくするのは当たり前だと思います。 使い物にならない→消防士として使い物にならないという意味でしょ? コレが人格否定…意味分からない。 消防士の基準に満たない者が消防士にしてしまったら、市民や仲間の消防士の生命を危うくするかもしれない。 そう考えたら甘い言葉で指導出来ないと思いますけどね。
ハラスメントは絶対ダメですが・・・ 現場で使えない消防士はいます。火の消し方を知らない、人命救助の方法を知らない、訓練をしない消防士が多くいる消防署があなたの地域防災を担当していると思うとゾッとしませんか?
被害者擁護
戒告…この手の馬鹿は一発懲戒免職でいいよ!!
部下が使いものにならない=上司の自分に指導能力がない=自分が使いものにならない ということになる。
部下を上手く使うのも上の人間の器量 あいつは使えない、言ってる奴は二流…
懲戒免職でよろしくお願いします。こういう輩を排除しないと職場の環境はよくなりません。
中立側
そもそも上司になる資格のない人物を昇進させた組織側にも問題がある。
まとめ
この事件に関する意見の中で目についてもののうち、日本語として成立しているもを中心に取り上げました。あまりにも酷い誹謗中傷も多数ありましたが、それらは無視しています。
消防組織のパワハラについて
大前提として、この記事の文面を読んだ限りではパワハラの具体的内容の前後関係が一切分かりません。その状況を踏まえた場合、私は加害者側を擁護します。
その理由は消防時代の実体験に基づくものであり、下記のとおりです。ちなみに、セクハラ関連については擁護しません。
行政サービスとしての消防
消防組織は、人命救助とか火災救助とか色々と交換不可能な「命」をやり玉に挙げて特殊性が謳われていますが、同様のサービスが民間に無いという点においての特殊性に注目するべきかと考えます。
その点において、消防に限らず、行政サービスの大半がその特殊性に該当することとなります。
その特殊な業務を責任をもって果たす必要があり、それこそが行政が存在する意味であり必要性なのだと思います。
火災の消火活動が出来ないのであれば、その人は消防行政を担う公務員としての存在意味が無く、不必要なのです。
公文書を偽造して、市民の声を無きものとしたり捏造したり、私利私欲のために個人情報を閲覧するような人は、行政職員としての存在意味がなく、その組織に不必要なのです。
今回のパワハラ事案において加害者側から発せられた「使い物にならない」ということがばどの程度の意味であったのかは読み取ることができませんが、上記のような行政が存在する意味と照らし合わせたときに、どういった状況が生まれるのでしょうか。
少なくとも上司の職責として任されている範囲内で消防行政のサービスを最低限提供する義務があります。
それらは個人でできることではなく、チームになって初めて遂行できる程度の行政サービスです。
なぜなら、個人としての活動で提供できる程度の行政サービスは、責任の度合いが低く、採用間もない職員であっても遂行できる程度の業務であるのに対して、経験を重ねた上司に対しての責任は、個人ではなくなるということです。
そんなときに、読み書きもできないような人や、物を盗むような人、物の名前や場所を覚えられない人、手順を少しも覚えられない人がチームに加わったらどうでしょうか。
そんな中でも上司の責任は変わりません。消防隊や救急隊といった複数人の集団としての活動の水準を保つ責任があるのです。
発達障害か否かは分かりませんが、救急車から傷病者の家に向かう際に資機材が入ったバッグを持って降りること。傷病者の家から救急車に戻る際は持って出たバッグを救急車内に持って帰ってくること。救急隊5年目になってもこれが出来ない人が沢山います。
事務的な部分では、自分のミスを隠すために書類を改ざんする人や、自分の功績を捏造する人、他の職員に不利益な内容の書類を作成して陥れる人など、数多くいます。
果たして、上司の責任の範囲とは、このような社会不適合者の悪意のある行動までを含むのでしょうか?
消防人事の責任
少々覚えが悪いとかであれば、上司の指導の責任の範疇かと思います。
これは当然の事実であり、強く認識するべきことです。
しかしながら、上記のような5年目救急隊や、悪意に満ちた社会不適合者の指導までは上司の責任ではないと考えます。
これらの責任は雇用主にあると考えます。消防組織で言えば、消防長の責任ということです。
形式上は当然消防長となりますが、実務的には人事や総務を担当する職員一同の責任です。
そもそも、消防士としての適格性を著しく欠いている人や社会不適合者については、分限により免職に追い込む権利があるわけです。そして、義務があるとも言えます。
消防組織が適正かつ効率的に運営されるといことは、市民サービスに直結して、火災時の被害が軽減されたり、急病人などが適切な応急処置のもと病院に搬送されていくことになるのです。
これらを人事総務という側面から管理する責任が、そこで勤務する職員には業務上あるわけです。
現場で他の職員のミスを誘発する動きをするとか、報告書を改ざんするとか、報告書で他の職員を陥れることを記載するとか、5年経っても他の1年目の職員の足元にも及ばない程の動きしかできないような職員を適正に処分する義務があるということです。
当然処分の中には、免職以外に、人事異動により育成に重点を置くとか、本人が得意とする分野の業務に就かせるとかいう処分があるわけです。
これらの義務を人事総務の連中が果たさずに、社会不適合者の上司だけが責任を負わされることには甚だ不快に感じてしまいます。
なぜこういったことが起こるのかについて説明します。
悪意のある消防人事・幹部
人事総務の職員がなぜ業務上の責任を果たさないのかという点について説明します。
まず第一に、人事の職員についてもパワハラ被害者のような「使い物にならない」人には辞めて欲しいと考えており、この点においてパワハラ加害者と意見が近いものとなっています。
補足すると、加害者側は辞めて欲しいではなく、自分をこの子の上司から外してほしいと思っている程度かもしれません。
辞めて欲しいと考えている、免職にする権限がある、免職にする要件に該当する。この3点が揃っているにも関わらず、なぜ免職にしないのか。なぜ業務上の責任を果たさないのか。
理由はいくつかあります。免職した場合に訴訟されることを恐れている。ということが最大の理由でしょう。
少なくとも、育成したいとか、そういった職員も輝ける職場に変えていきたいとかいう考えは微塵もありません。
そして次のロジックが人事総務が一切の責任を負わずして「使い物にならない」職員を免職に追い込むことができるうえ、担当した職員の出世まで約束されるような、超お得な方法となります。
「使い物にならない」職員に対するパワハラを黙認し、被害者側から相談があったとしても、その記録は残さないか、その時点では状況的にパワハラではないという記録を残していきます。
その状況を続けていくと、被害者がいずれ精神疾患を発病します。理想は鬱ではなく、適応障害です。そして、適応障害により職場を休むように促し、病気休暇・休職という流れを進めていくわけです。
適応障害での休職が進んでいくなかで、消防という組織自体に適応できないと状況であるというふうに誘導していけば、被害者から自主的に退職したいという申し出をさせて、そのまま辞めさせます。この時点で辞めさせるという目標は達成しますが、上記のような超お得な計画の完了まであと僅かです。
最後は2つに分岐します。
パターン1はパワハラを無かったことにするパターンです。本来であればパワハラにより職員が精神を病み、退職まで追いやられたのですから、加害者が処分されるような事案であることは間違いありません。そして組織にパワハラが事実を報道発表する必要がでてきます。(人事総務が不適切に管理していたことは棚に上げています)「穏便に退職まで追いやったことにより、パワハラの事実を隠蔽できたのは私の功績です」と人事総務の職員が上司に向かってアピールし、組織内パワハラの責任を取らずに済んだ上司から感謝され、出世が約束されるわけです。
パターン2はパワハラを公表するパターンです。上記パターン1の「本来であれば」の内容ですね。報道発表する際の注意事項は「人事総務としてはパワハラを認識できていなかった。被害者の所属する部署内で事実が隠蔽されていた」という情報を付するのです。こうすることにより、組織として大きな責任をとることを免れることになり、一部の職員に責任を押し付けることができます。それでも組織としてはイメージが悪くなるというデメリットがあるように見えますが、これは個人としてのデメリットにはなり得ないので関係ありません。組織のイメージがどんなに悪くなろうとも、消防という組織が消滅することは絶対にありませんから、個人として不利益を被ることは無いわけです。
まとめ
人事総務の職員や消防の幹部職員連中については、必要な業務を適切に実行する能力が無いという点においては、「使い物にならない」と言われた職員と同じです。
本当に人事総務の職員が職責を全うしているのであれば、免職の処分をうける職員は数十倍、数百倍になるはずです。保守的で自分さえよければ他の人が死のうとも関係ないと考える消防職員が少なくならなければ、組織としての浄化はないでしょう。
この負連鎖はいつ止まるのか。誰が止めるのか。
先にも書きましたが、上記の大半は消防時代に実際に経験し、その事実に抗ったこともありましたが、さまざまな嫌がらせを受けて職責を果たすことができなかった事例に基づくものです。
一人の力では、組織に巣食う社会不適合者に抗うことはできませんでした。一人でも味方がいればとおもいましたが・・・。