はじめに:ニュースの概要
2024年6月、消防庁が「救急搬送の需要増加に対応するため、日中のみの稼働を前提とした救急隊を新設・拡大する」との方針を発表した。対象は全国の消防本部で、従来の24時間稼働とは別枠で、限られた時間帯に集中対応する体制を構築するという。
背景には、人口高齢化と医療資源の偏在により、119番通報件数が年々増加している現実がある。全国の救急搬送件数はコロナ禍後も高止まりしており、一部の消防本部では搬送までに30分以上を要するケースが散見される。
この新体制は、救急車のリソースを時間帯ごとに最適化しようとするものだが、コメント欄には賛否の声が広がっている。
寄せられた声の傾向
このニュースに寄せられた意見を整理すると、大きく3つに分類される。
- 現場の逼迫を理解し、体制強化を評価する声
「日中だけでも増えるのはありがたい」「要請が多い時間帯に人を増やすのは現実的」 - 制度そのものの限界を指摘する声
「本当に必要な人に限定して運用すべき」「いつまでも無制限に出動していたら破綻する」 - 救急隊や消防そのものへの不信を示す声
「どうせ軽症者対応で疲弊するだけ」「対応が遅いのは体制でなく現場の意識だ」
注目すべきは、制度の形よりも、その運用の実態に疑問を持つ意見が多数派を占めていた点だ。
いずれにしても、コメントの質が非常に低く、消防が日々行っている「俺たちは正義だ、つねに忙しいという」プロパガンダが功を奏しているといえるだろう。
到着時間至上主義という幻想
本来、救急業務の目的は「1秒でも早く到着すること」ではない。
求められるのは「より多くの命を救い、後遺症を最小限にとどめること」である。
たとえば、呼吸困難や意識障害といった症例では秒単位の対応が必要だが、骨折や捻挫であれば、到着時間よりも安定搬送と受け入れ先の適切な選定が重要になる。
それ以外にも、体の一部が断裂してしまった際は、再接着できるまでの猶予は限られている。まさに1分1秒を争う状況である。
それにもかかわらず、多くの消防本部では平均到着時間や所要時間が唯一の評価指標になっている。救急隊が評価されるのは、数字をどれだけ短縮したかという部分ばかりであり、その数字に意味があるかどうかについては誰も検証しない。
こうした状況の中では、現場で本当に必要とされる判断力や調整力は評価されない。評価されるのは「とにかく早く着いた救急隊」なのである。
救急車1台にかかる莫大なコスト
救急隊の拡充が容易に進まない理由として、まず挙げられるのが人件費と装備費用の大きさである。3人乗車の救急車を1台、24時間365日体制で稼働させるためには、最低でも9〜10人程度の職員が必要となる。
これは、2~3交替制の勤務体制で回す必要があること、年次有給休暇や研修などを含めてシフトが欠けないようにするためである。
消防職員1人あたりの年間コストは、給料・手当・社会保険料・厚生年金・公務災害補償・装備・訓練費・消耗品などを合計すると、概算で800万円前後となる。つまり、1台の救急車を運用するだけで、人件費だけでも年間7,000万〜8,000万円が必要になるのだ。ちなみに、隊長クラスになると、給料と手当だけで1千万円を超えることも少なくない。それ以外に装備品やら社会保険料や厚生年金の事業主負担分などを合算すると、1300万円以上となるケースもある。
さらに、救急車両自体のコストも小さくない。救急車は常時アイドリング状態での待機や出動が多く、使用年数は平均5〜8年程度と短い。新車の導入費用は、装備込みで1台あたり3,000万〜4,000万円にも及ぶ。これに加えて、年間の維持管理費(ガソリン、車検、保険、メンテナンスなど)を合わせると、1台あたり年間約500万円前後が必要となる。
これは言い換えれば、年間数千万円で医師を雇用できるだけの予算を、救急車1台に投じているという構図である。
ある程度の予算さえ割くことができれば、直美と揶揄されている若い医師ですら、手を貸してくれるかもしれない。
いや、もともと救命センターで働いていて、加齢とともに体がもたなくなって隠居となるはずであるが、病院内のポストがたまたま空かなかったパターンもあるだろう。そんなベテラン医師にはうってつけの現場かもしれない。日中常駐医師である。
本当に必要な救急か、それともただの送迎か
現在、救急搬送の約半数は軽症者であり、残りの多くも中等症に分類される。重症患者や緊急性の高い症例は1割にも満たない。それにもかかわらず、すべての要請に対して一律に出動し、平均到着時間の短縮を目標に掲げている。
このような体制では、リソースの浪費は避けられない。軽症者が搬送を求めたことで、本来救えるはずの重症者への対応が遅れるという本末転倒な事例も数多く報告されている。
例えるのであれば、1+1の計算も、複雑な暗号解読計算もすべて等しくスーパーコンピューターで行っているような歪な状況である。
この状況に対して、各消防本部が導入しているのが「映像通報」や「AIトリアージ」などの判断支援システムであるが、実態はほとんど運用されていないか、判断力のない職員が形骸的に扱っているに過ぎない。有効に使われているとは決して言えない状況だ。
仮に、映像通信システムやAIを活用、さらに年収5000万円で雇った常駐医師の判断を仰ぎ、119番通報の段階で症状の緊急度をA〜Dの4段階に分類する仕組みを導入したとしよう。
この分類において、
- Aランク:心肺停止や重篤な外傷など、生命の危機が差し迫っている事案
- Bランク:命に関わる可能性は低いが、迅速な処置が回復に影響を与える中等度の事案
- Cランク:緊急性はないが、医療機関での診察が望ましい軽症事案
- Dランク:通報者の不安によるものや、救急搬送の必要性が極めて低い事案
といったふうに整理できる。
このように分類されたうえで、AランクやBランクの事案には常に即応できる救急車を数台確保しておく。逆にDランクに分類された事案については、即時の出動を行わず、他の案件とのバランスを見ながら後回しとする。
具体的には「Dランクは同時に最大3件までしか対応しない。それ以上の要請がある場合は、先の3件の事案が終了するまで一時待機とする」「様態の急変がない限り1時間以上の待機を前提とする」「様態に応じて5~10分おきの映像での様態確認を必須とする」などのルール設定が可能だ。
このようにすれば、限られた救急資源を真に必要な事案に優先配分することができ、出動全体の質も高まる。
結果として、重篤事案への到着時間は短縮され、かつ不要な出動による職員の疲弊も避けられる。
ただ、平均到着時間は著しく伸びるであろう。ランクAが全体の1割も占めないという事実を考慮すれば、もしかしたら1時間を超えるかもしれない。
しかし、本質的に問われるべきは、何秒早く着いたかではなく、何を優先し、誰をどう助けたかなのである。
だが現場では、そういった思考が一切なされず、すべてを一律に「急げ」の一言で処理してしまっているのが現実である。
到着が1分遅れても、救える命は救える
多くの消防関係者や自治体担当者は、救急車の「現場到着までの時間短縮」を最重要の指標として掲げている。
確かに、心肺停止や重篤な外傷など、到着の早さが直接的に予後を左右するケースは存在する。しかし、それは全体のわずか5%程度に過ぎない。
つまり、95%の救急出動においては、数分の違いが生死を分けるわけではない。むしろ、本当に必要な救命処置が適切に行われることのほうが重要なのであり、時間短縮のためだけにリスクを冒して救急隊を酷使することは、逆に本質を見失わせる原因となっている。
「救急車が現場を間違えて到着が8分遅れたが様態に影響はなかった」とか「搬送途中に事故を起こして別の救急車が対応し15分遅れたが様態に影響はなかった」と言われるニュースが日々報道されることからも、想像に難くないだろう。
現場ではランクDに届かないような、「痛くて動けない」「不安だから呼んだ」「夜間に開いている病院がない」といった理由で呼ばれるケースも多い。
こうした事例に対して、急いで現場に向かう必要はまったくない。場合によっては、数時間待っても問題ないことすらある。
にもかかわらず、「救急車が来るまで30分かかった」といった住民の声を恐れ、または「平均到着時間」の数値目標に縛られることで、現場は常に余裕を失っているのだ。
目的を履き違えた現場の混乱
本来、救急体制の目的は「救える命を救うこと」にあるべきである。だが、現場ではいつの間にか「文句を言われない運用をすること」が最優先事項となっている。住民からの苦情を恐れ、メディアや議会での追及を避けるために、意味のない“最速神話”が作り上げられている。
そして、そのしわ寄せがすべて現場職員に向かう。「遅い」と責められ、「多忙」と疲弊し、挙げ句には過労や事故を引き起こす。
この歪んだ構造の根本にあるのは、数値を見てしか判断できない組織の無能さに他ならない。何のために救急車を増やすのか、何を基準に出動を制限するのか、その設計思想すら持たないまま「とにかく早く・とにかく多く」の現場対応が続いている。
とはいっても、馬鹿が馬鹿を管理する際には、数値目標というのは非常に効果的であって、理にかなった管理方法である。それでいて、評価や責任はすべて現場へ。
運用の見直しを提案する者は異端者扱いされ、内部から制度に疑問を持つ職員がいても、それは黙殺される。
こうして「思考なき現場」が日常となり、組織の硬直化はさらに進行していく。
終わらない誤解と、終わらない浪費
救急隊の拡充は「正義」であるかのように語られる。しかし、その裏には思考停止と浪費の連鎖がある。必要性に応じた出動管理も、AIや映像通信による判断支援も、すでに実現可能な技術であるにもかかわらず、それを正しく活かせる人材も仕組みも整っていない。
結局、今の消防組織において「救急車が増えること」とは、対応の質が向上することではなく、無能な現場の誤魔化しの材料が増えることを意味しているのだ。
そしてそれは、すべて市民の税金によって支えられているということを忘れてはならない。