大前提として、消防士の殉職は組織の不祥事です。
世の中には、危険な作業に従事する方々が数多く存在しています。
ビルの窓清掃、足場作業、坑内作業、高圧線作業なども非常に危険な仕事であり、詳細な統計データこそ公表されていませんが、一部では消防士よりも高い受傷事故率を誇ることは想像に難くないことだと思います。
そして、これらの業務を行う民間企業において死亡事故が発生した場合には、労働災害事故による死亡として処理され、雇い主側に安全配慮が足りなかったものとして行政処分が科されることとなります。経費削減のため安全配慮を欠いた事実等が確認されれば、刑事罰の対象となることもあります。
日本国内においては、公務・公務外の民間企業に関わらず、仕事中に命を落とした場合には、雇い主側の責任が問われるのです。
過去にあった、安倍元首相が射殺された事件においても、犯人が悪いことは当然として、警備に不備があったと問題視されています。
悪意をもった人間が存在していたっとしても責任を問われるため、その悪意そのものが自然現象や社会現象であったとしても、雇い主側に重い責任が発生するのです。
もちろん、火災も同じです。
殺意をもった人間と、意識を持たない火災という自然現象のどちらが危険かは、聞かれるまでも無く明らかに殺意を持った人間ですね。
消火に至らない火災は人類の歴史上存在しませんから。
【火災は危険だから、消防士が消火活動中に死ぬこともあり得る】と考えている人が一人でも存在するのであれば、その消防組織は終わりです。即刻解散して全人員を入れ替えた方がいいと思います。
しかしながら、全国全ての消防本部の考え方は【火災は危険だから、消防士が消火活動中に死ぬことも有り得る】というものです。消防学校でもそう教わりました。【火災は危険だから、消防士が消火活動中に死ぬことも有り得る。ただし、お前らとその仲間だけは生きて帰ってこい】と。
消防士の殉職は組織の不祥事
消防士が火災現場で死亡した場合、その死因は気道熱傷による呼吸不全や一酸化炭素中毒によるものが多くなります。
それはあくまでも医学上の分類である生命機能を停止に至らしめた死因です。
死亡に至った状況的な原因は火災ではなく、組織による安全管理の不足です。
火災そのものに殺意という意識は存在しません。燃焼現象のほぼ全ては科学的に分析されており、化学現象のひとつに過ぎません。
自動小銃を持ったテロリストが暴れている現場ではないのです。
殺意により殺されたのであれば、まだ納得できますが、殺意の無いものに殺されたというのは、高速度道路を歩いて横断するのと同じようなものです。
高速道路の上に落ちているものを拾うという仕事もあります。これは、2人以上がペアになり、道路状況を詳細に確認しながら、安全なタイミングで素早く収去するというもので、轢かれてしまえば確実に責任が発生します。
火災現場でも、命を落とす可能性がある場合には対応を考えなければいけません。
防火服の役割
消防士が火災現場で来ている防火服の役割は主に4つあります。
1 火炎が着火して熱傷を負わないこと。 2 高温の外気による熱傷を負わないこと。 3 高温になった消火水が服内に入り熱傷を負わないこと。 4 ガラスや瓦礫により切創刺創の受傷を負わないこと。
他にもガイドライン上では様々な基準が設けられていますが、それを議論する場ではないので、気になる方は調べてください。
何のために防火服を着るのか
消防士が消火活動や火災現場での救助を行う際には、防火服に限らず、手袋やヘルメット、空気呼吸器など様々な安全のための装備品を身につけることになります。
当然のとこですが、消防士がどんなに安全装備品を身につけようとも、宇宙空間に出れば死にます。
溶鉱炉の中に飛び込めば死にます。
高所から転落すれば死にます。
拳銃で撃たれれば死にます。
当たり前のことです。
絶対に命を落とさないための装備品を身につけようとしたら、予算がいくらあっても足りませんし、そこまで対応するのは、その他の活動に支障が出るため、現実的に考えて不可能です。
防火服の性能限界は、自然発生的に決まったものでは無く、人が決めたものです。
ターミネータも生きていられないような火災現場を想像してください。上の図は右に行けば行くほど、数字が大きくなればなるほど危険だという状況を視覚的に表したものだと思ってください。
⑦はターミネータすら解けてしまう溶鉱炉で、①は例え溶鉱炉や建物が爆発したとしてもその影響を受けないような場所で、一般人が避難している場所、②から⑥はその間の場所だと思ってください。
消防士が着る防火服は⑦には耐えられませんが、①では着る必要がありません。ここで言う防火服を着ているとは安全装備品一式を身につけているという状況です。
①では着る必要が無い。⑦は着ていても死ぬ。ということです。②から⑥の状況について考えてみましょう。
①では着る必要がない。
②では着ていない状況でも居られるが、少々火災の熱を感じる。
③では着ていない状況だと火炎の熱により10分程度で体調不良になる。
④では着ている状況であれば居ることができる。
⑤では着ている状況であれば、10分程度居ることができる。
⑥では着ていても身体に重大な負傷が発生する。
⑦では着ていても死ぬ。
そして、すべての状況は次の段階に悪化する可能性を常に秘めています。
逆に、消火活動が進んでいけば、すべての状況が①になっていくことになります。
消防士は消火活動をするために、少しでも⑦に近づくために、防火服を着るわけです。防火服を着ずに消火活動を行うとなると、③の場所から、徐々に進んでいく方法しかありませんが、防火服を着ていれば、④や⑤の現場から状況を改善していくことが可能になるのです。
そのため、防火服を着る訳です。
火災現場に進入していくために着ているというのは、あまりにも乱暴な表現であり、大体の意味において間違っていると言っていいでしょう。
安全管理義務 安全配慮義務
消防士は数少ない、火災に対して消火という形で対応する専門家です。消防団や自衛隊というのも、消火活動を行います。
こういった点において、消防士は火災現場のプロと言えるでしょう。
そのプロであるからこそ、先に書いた⑥、⑦の現場には消防士を立ち入らせない。という責任が発生するわけです。
④、⑤の現場でも、常にその状況を確認して、活動する消防士を管理する責任を負うわけです。
状況の悪化を考慮すれば、③の現場でも同じです。
消防士が殉職したということは、⑤よりも悪い状況下に消防士を進入・滞在させ、その管理を行ったことに他ならないのです。
火災現場が危険なのは小学生でも知っています。その危険をどの程度受け入れるかについて、火災の状況や安全装備品の状況を鑑みて、管理していく義務があるのです。自己責任ではありません。
基本的に自己責任ではない
消防の現場は部隊活動であり、階級により命令系統が統制されています。
そのため、個人的な判断により危険を受容するということは絶対にありません。
不適切で不必要な危険にさらされるは、常に管理者側の責任があるわけです。
消防の安全管理義務違反が非難されない理由
これは消防士の長年にわたる努力の賜物です。
【消防は危険な仕事だ!我々は命を懸けて人命救助している!】という誤解を与えるには最適な表現方法を用いて、キャンペーンを行っているのですから。
先にも書きましたが、心の底から【消防は危険な仕事だ!我々は命を懸けて人命救助している!】と考えている消防士にはついていかないことを勧めます。
現場で殺されます。危険を受容するという点において、安全管理の感覚が狂っている狂人、サイコパスそのものですから。
最近もyoutubeでタイチョーと名乗る元消防士が、「消防は危険な仕事で使命感をもって消火活動した消防士が殉職したことは非常に悔やまれる。きっと殉職した消防士も火災の根絶を願っている」という旨の発言をしていましたが、管理者側の責任についての感覚が欠如した非常に危険な人ですね。
この感覚をもった消防士が現役を続けていたら、いつか殉職者を発生させたかもしれませんね。