山形県新庄市にある最上広域事務組合消防本部で、先輩職員2名による後輩職員へのパワーハラスメントがあったと第三者委員会が認定した。このニュース(4月28日報道)にはYahoo!ニュース上で200件以上のコメントが寄せられ、世間の関心と議論の熱さを物語っている。コメント欄を見ると、パワハラを断罪する声と被害職員側に問題があるとする声とで世論は二分していた。
本記事ではそれら反応の傾向を分析しつつ、仮に被害者側に資質上の欠陥があったとしてもそれを見抜けず放置した組織(総務・人事部門)の責任に焦点を当てる。
不適格な職員を免職にすることは管理者の「権利」ではなく「責任」であるとの立場から、本質的な組織運営上の問題点と世論とのズレについて論じてみたい。
コメント欄で二分された世論: パワハラ糾弾派 vs 被害者非難派
Yahoo!ニュースのコメント欄には大きく二つの論調が見られた。
- パワハラは断じて許せない派:先輩職員による執拗かつ過度な叱責は明らかに行き過ぎであり許されない、と加害者側を非難する声である。「食堂の外まで聞こえるほどの大声で叱責」「大勢の職員がいる前で執拗に問い詰める」といった行為は明白にパワハラであり、どんな理由があろうと職場で他者の尊厳を傷つける行動は正当化できないという主張だ。実際、本件では第三者委員会が「不必要に長時間、不相当に大きな声で職員が委縮するような叱責」が行われていたと認定しており、コメントでも「指導の域を超えている」「昭和の悪しき体育会気質だ」といった厳しい糾弾が多数を占めた。パワハラ被害によって当該消防職員は2023年末から2024年3月にかけ合計55日間も休職に追い込まれており、その深刻さを指摘する声も目立った。
- 被害者にも問題がある派: 一方で被害者側の適性不足やメンタルの弱さを指摘するコメントも少なからず存在した。第三者委の報告書によれば当該職員は業務上のミスをした際に先輩2人から大声で叱責されていたといい、このことから「ミスをすれば叱責されるのは当然」「叱られる側にも原因があるのではないか」という見方である。実際、当初消防本部内の苦情処理委員会はこのケースを「業務の適正範囲を超えた行為には該当しない」と判断し懲戒処分の必要なしと結論付けていた経緯もある。コメントでも「これくらいで休むようでは消防士に向いていない」「甘えではないか」と被害者の資質に言及する声が見受けられた。事実55日間もの長期休職に至ったことで、「叱責程度で心が折れてしまう人間が人命を預かる現場にいて大丈夫か」という懸念を示す意見も寄せられている。このように、パワハラそのものより被害者の力量不足を問題視し、むしろ先輩職員による指導(叱責)は必要悪だったのではないかという論調である。
被害者の資質問題と管理部門の対応不足
上述のように「被害者にも非があるのでは」とする見方には一定の根拠があるように思われる。本件の被害職員は業務上のミスを繰り返していた可能性が高いし、報道によれば入院中に「RESCUE(レスキュー)」と大書されたTシャツを病棟内で着用していたところ、同僚から「クレームが来るんだよ」と注意を受けたエピソードも明らかになっている。社会常識的に考えて、公務員たる消防士が公の場(病院)で所属を想起させる服装をするのは配慮に欠ける行為かもしれない。こうした点だけを見れば、被害者側にも職業人として改善すべき点があった可能性は否めない。
しかし、たとえ被害職員に資質上の欠点や問題行動があったとしても、それを矯正したり業務に支障が出ないよう配置転換・指導したりするのは本来組織側(管理職や総務・人事部門)の責務である。ミスの多い部下に対し、先輩が感情的に怒鳴りつけて萎縮させる――そんな稚拙な「指導」が横行する時点で、その組織の人事管理体制の不備は明白だ。実際、本件では当初内部の苦情処理委員会がパワハラを「適正範囲内」と見做して問題を握り潰そうとさえしていた。これに対し、後の第三者委員会は「従前の苦情処理委員会の判断基準は正しくなかった」と明確に指摘している。内部監査が機能せず事態を放置・黙認していたこと自体、組織として重大な問題だろう。
組織の問題を、組織という架空の人を作り上げて、責任を転嫁するのが常道手段であるが、確実に責任を人に帰着させなければならない。利益を追求する企業であれば、その限りではないが、税金で運営される究極の公共組織である、消防組織においては、例外なく責任を人に帰着させる必要があるだろう。
総務・人事部門は、職員一人ひとりの適性や問題点を把握し、必要な措置を講じる責任を負っている。今回のケースでは、仮に被害者の能力や言動に問題があったのだとしても、それを適切に是正できなかった管理側の責任放棄が厳しく問われるべきだ。本来ならば早い段階で指導計画を立てるか配置転換を検討すべきだったし、最終的に職務遂行に支障が大きいと判断されるなら然るべき手続きで免職等の処分を検討するのも管理者の務めである。それを怠り、問題職員を野放しにしたまま現場任せにしてしまったツケが、今回のパワハラという最悪の形で噴出したと言える。
不適格職員の排除は「権利」ではなく組織の「責任」
ここで強調したいのは、不適格な職員への対処(場合によっては免職)は、管理側に与えられた恣意的な「権利」ではなく、組織の秩序と業務品質を維持するための「責任」であるという点だ。特に消防のように市民の生命・財産を預かる公的組織では、隊員一人ひとりの適性は組織全体の使命達成に直結する。不適任な人材を漫然と抱え続ければ、現場の士気低下やサービス低下を招き、組織全体の信用失墜につながりかねない。
実際に、不適格者を放置することには次のような弊害が考えられる。
- チーム全体の士気低下: 能力や適性に問題のある職員がいると、周囲の職員に余計な負担や不満が生じ、現場の士気や連携が損なわれる。今回のケースでも、先輩職員らの過剰な叱責の背景には「こいつのせいで現場が回らない」という鬱積した不満があった可能性は否定できない。
- 職場環境の悪化(ハラスメント誘発): 問題職員への対処を管理者が怠れば、代わりに現場の同僚が非公式な手段(陰口やいじめ、過度な叱責など)で鬱憤晴らしをしようとする傾向が生まれる。つまり管理責任の放棄がパワハラ等の二次被害を招く温床となる。
- 市民へのサービス低下と信頼喪失: 組織内の不協和音は対外的なサービス品質の低下につながり、ひいては住民の信頼を損ねる。実際、最上広域事務組合の理事長は今回の件について「住民の皆様の信用と信頼を損ねたことに対し深くお詫び申し上げます」とコメントを出す事態となった。内部の人事管理の失敗が組織全体の評判にまで波及した一例と言えるだろう。
以上のようなリスクを未然に防ぐためにも、組織は職員の適格性に問題がある場合、早期に適切な手当て(指導・配置換え・降格・免職など)を行う「責任」がある。決して「気に入らない部下をクビにする権利があるからそうする」といった恣意的な話ではなく、組織の健全性と公共サービスの質を守るために果たさねばならない義務なのだ。管理側がその責任を果たさなかったとき、今回のように現場が崩壊し関係者すべて(被害者も加害者も組織自体も)が不幸になる結果を招いてしまう。
ただ、実際には総務や人事に配置されている消防職員ですら、適格性を欠いている場合は少なくない。むしろ多いと言っていい。そういった人で構成されたチームに対して人事権や免職のきっかけを作る権利を与えているため、「気に入らない奴の人事配置は負荷を与える」とか「気に入らない奴はの昇任昇格は遅らせる」など、悪意しかない恣意的な運用しかされていない。一見正しいとされる人事扱いは、それらの悪意ある運用を目立たなくするための悪意に満ち切った偽善行為でしかない。いや、そうであった。
世論の焦点と本質的問題のズレを正すべき
今回のYahoo!ニュースコメント欄で噴出した議論は、主に「先輩職員のパワハラが悪いのか、それとも後輩職員の不甲斐なさが原因か」という点に集中していた。しかし、このような個人間の非難合戦に終始してしまうと、組織の本質的な問題が見過ごされてしまう恐れがある。本来注目すべきは、なぜ職場内で不適切な人員配置や指導上の問題が放置され、パワハラという事態に至るまでエスカレートしてしまったのかという組織運営上の教訓である。
世論の中には「上司と部下の双方に問題があったのでは」といったバランスを取る意見もあるかもしれない。だが重要なのは、個人の資質論に留まらず「組織としてそれをどう防げたか」という視点である。
残念ながらコメント欄の大勢は個人対個人の責任論に終始し、組織ぐるみの対応のまずさ(内部苦情処理制度が機能しなかった点や、人事部門のリスク管理意識の欠如など)まで踏み込んだ議論は少数にとどまっていたように見受けられる。
見る限り、消防職員がコメントしていると想像されるものが大半であったが、そういった真に迫った意見はなく、やはりここでも消防職員の資質の悪さを露呈してしまう結果となってしまった。
もちろんパワハラ加害者個人の責任を追及すること自体は大切だ。しかしそれだけでは同種の問題再発を防ぐ根本的な解決にはならない。仮に今回叩かれた先輩職員2名を処分したとしても、職場環境や人事体制が何も変わらなければ、第二第三の「叱責で部下を潰す先輩」と「対応できない管理部門」が生まれるだけだろう。世論が本当に糾弾すべきは、こうした構造的欠陥を放置した組織の在り方そのものである。そして、組織とは人であり、個人に特定することが可能なはずである。
最上広域消防本部の件は氷山の一角であるのは、過去の例を見れば疑いようのない事実であろう。同様の問題は他の組織でも起こっているし、表面化していないだけで潜在している可能性もある。表面的な「パワハラ vs ヤワな若者」という図式だけで消費するのではなく、その裏にある組織運営上の問題に目を向ける必要があるのではないだろうか。職員の適性見極めと適切な人事措置という当たり前の責務を怠ったまま個人間の衝突に矮小化してしまえば、問題の本質を見誤ることになる。
結論
結論として、本件が突きつける教訓は明白だ。不適格な職員を然るべき時に然るべき形で処遇できなかった組織、つまり複数の個人の怠慢こそが、パワハラという二次被害を招いた根源である。
総務・人事部門は、自らの「責任」から逃げずに人員管理に真摯に向き合うべきだ。もちろん、自分自身にその適格性がないと少しでも感じたのであれば、1秒でも早くそのばから異動し、適格性のある人に対してその席を譲り渡すことが必要であり、これも責任であろう。そして、おそらくその相手は、適格性を欠いたあなたたちが目の敵にしてきた人であろう。
パワハラ加害者を処分して終わりにするのではなく、二度と同じ過ちを繰り返さないために、組織内部の制度や風土を見直し改革することこそが求められているが、そんなことができる職員はもう消防職員には残っていない。日本中の消防本部において、この自浄作用は残っていないだろう。
被害者の資質云々よりもまず、組織として何をなすべきだったのか――その原点に立ち返ることで初めて再発防止への道筋が見えてくるだろう。