処分を決めるのは検察じゃない──懲戒判断すら他人任せの消防組織

消防不祥事
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1. 【事件概要】勤務中に現金を盗んだ警察官、書類送検と同時に処分

 2025年6月、警視庁の地域課に所属する警察官2人が、勤務中に金庫から現金を盗んだとして、窃盗容疑で書類送検された。
 この2人に対して、警視庁は送検のタイミングでそれぞれ「懲戒免職」「停職」の処分を即座に下している。

 処分理由について、警視庁側は「職務倫理を著しく損なう行為であり、懲戒処分が相当と判断した」と説明している。
 つまり、検察による起訴・不起訴の判断を待つことなく、独自に懲戒処分を決定したという点が、今回特に注目すべきポイントである。

 これは刑事手続きと懲戒処分は制度上、独立した判断であるという前提を正しく理解したうえでの対応であり、組織として自律性を保ったものと評価できる。


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2. 「書類送検では処分できない」などというのは幻想

 一方で、消防組織ではこのような対応が行われることは、ほとんどない。
 火災現場での暴行や、盗撮・痴漢・傷害・飲酒運転といった刑事事件に関与した消防職員が書類送検された段階で処分されることはほぼ皆無である。

 たとえ本人が犯行を認めていたとしても、消防の処分判断は以下のような順序に固定化されている。

  1. 警察が捜査し、書類送検
  2. 検察が起訴・不起訴を判断
  3. その後、処分を「検討」
  4. 結論が出るまで、原則は「謹慎」か「待機」

 つまり、消防では起訴されるまでは何も処分しないのが通例となっている。

だがこれは、法的には何の根拠もない。
むしろ懲戒処分は、刑事罰とは全く別の制度であり、「職員としての信用を損なったかどうか」「組織運営に重大な支障が生じるかどうか」という観点から、行政が独自に判断すべきものだ。


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3. 本人が認めていても「検察待ち」──責任放棄の構造

実際、これまで消防の不祥事においては、たとえ本人が

  • 「やりました」
  • 「金を盗みました」
  • 「暴力を振るいました」

 と明確に認めていたとしても、組織側は「検察の判断を待つ」として懲戒処分を先送りする例が繰り返されてきた。

 本来であれば、職員の自白や証拠に基づいて懲戒判断を行うのが筋だ。
なのに、「外部の刑事判断が出るまで、私たちでは何も判断できません」という姿勢を取り続ける。
 これはもはや懲戒制度の理念を踏みにじる、無責任体質そのものである。

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4. 起訴されたら処分、不起訴なら…免職?──矛盾に満ちた消防の運用

消防組織はよくこう説明する。

「懲戒処分の判断は検察の起訴・不起訴を待ってから決めます」

 これは一見、慎重で公平な対応のように見える。しかし、実際に運用されているケースを見れば、この原則は破綻している

たとえば、以下のような事例は珍しくない。

  • 飲酒運転で検挙 → 書類送検 → 不起訴懲戒免職
  • 傷害事件で被害者と示談成立 → 不起訴停職や減給
  • 窃盗行為を認めていても → 検察が不起訴依願退職の誘導

つまり、起訴されなくても処分される。
にもかかわらず、「起訴されるまでは処分しない」という建前がある。

これは明らかに都合よく制度を使い分けているだけだ。
起訴されたときには「検察の判断が出たから処分します」と言い、不起訴のときには「組織内の信頼を損なったので処分します」と言う。

要するに、判断基準が一貫していないのである。


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5. 「独立性」を放棄した組織に処分権を与えるべきではない

本来、懲戒処分制度とは、刑事処分とは完全に独立して機能する仕組みである。

  • 刑事処分:社会に対する法的責任を問う(検察・裁判所)
  • 懲戒処分:組織内での規律維持・信頼回復を目的とした内部判断(雇用主)

したがって、刑事事件の進捗とは無関係に、組織の意思と責任に基づいて処分を下すべきである。

ところが消防は、そこをあえて曖昧にしようとする。

  • 起訴されれば「仕方ないから処分する」
  • 不起訴なら「社会的制裁を加えるために処分する」

つまり、どんな結果になっても、言い訳だけが用意されている
処分の正当性は、すべて「後付けの理屈」で補強されているだけなのだ。

ではなぜ、そんな歪んだ運用がまかり通っているのか?

答えは簡単である。
「自分の意思で処分を決める覚悟が、幹部たちにないから」である。そんな人たちが、1分1秒が生死を分けるとか言いながら、火災現場や救急現場に駆けつけてくれるわけだから、有難いですね。その処置も、気づかれないように後回し、責任逃れが行われているのです。


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6. 「処分を決める覚悟」がない組織

今回の警視庁のように、書類送検段階で懲戒処分を下すというのは、組織としての自律性と責任意識がある証拠である。

  • 被疑事実の内容
  • 行為の悪質性
  • 組織への影響
  • 本人の態度と経過

これらを総合的に判断し、「これは処分すべき」と決断した。それが本来の姿である。

対して消防は、これらを一切判断しようとせず、すべてを検察に委ね、「うちはそれを見て決めるだけ」としている。
処分を決めるという職務の本質を、ただの事務処理として片付けているのだ。

そして最終的に、不起訴だった場合は「社会的信頼を損なった」と言い出し、処分を正当化する。
起訴されたら「検察の判断に従う」と言って責任を転嫁する。

この運用はもはや、自律した組織の態度とは言えない。

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7. 判断から逃げ続ける“腰抜け組織”

本来、公務員組織は、自らに課された職務と権限に基づき、主体的に判断する義務がある。
ところが消防本部では、こと懲戒処分に関して、その責任を完全に放棄しているように見える。

「検察の判断を待つ」
「マスコミ報道の反応を見てから動く」
「世論の声が強くなったら対処を検討する」

──これらは全て、判断から逃げるための言い訳でしかない。
こうした態度が続けばどうなるか?

  • 規律を乱す職員に甘い組織
  • 外部に尻を叩かれなければ動けない組織
  • 正直者がバカを見る組織

その結果、「消防の懲戒処分は遅くて、甘くて、根拠がない」と評価されるようになる。
実際、一部の知能が高い市民や被害者遺族が、こうした不誠実な態度に怒りを感じている。

もちろん、論理的思考力がない境界知能の市民らは、消防の活動を称賛し続ける。


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8. 信頼を失う懲戒制度の形骸化

懲戒処分は、本来であれば組織の信頼を守るための手段である。
だがその判断を他人任せにする限り、懲戒制度は「責任逃れの道具」にすり替わってしまう。

今や消防では、

  • 起訴されたら“仕方なく”処分
  • 不起訴だったら“雰囲気で”処分
  • どちらでも処分しない場合も多数

このように、ルールも一貫性もない中で処分が運用されている。
これは、職員にとっても市民にとっても極めて不幸な状況だ。

職員からすれば、「何がアウトで何がセーフかわからない」
市民からすれば、「なぜあの人は処分されないのか、説明がない」
結果として、懲戒制度そのものへの信頼が崩れていく。


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9. 書類送検段階で処分を下せるかどうかが本当のリトマス試験紙

最後に、冒頭で紹介した警察の事例に話を戻したい。

今回、警視庁は書類送検の段階で即処分を決めた
それは、「刑事処分と懲戒処分は別」であるという制度理解に基づいている。
そして何より、自分たちの組織の品位と信頼を守るために、自ら判断する覚悟があった。

一方の消防は、いまだに誰かが判断してくれるのを待つ組織のままである。
検察、報道、世論、議会──すべての目が揃ってからようやく動き出す。

これを聞けば埼玉県八潮市であった救助活動を放棄した事件の理由も容易に想像できるだろう。そういった、責任逃れの集団であるのだから、誰かが何とかしてくれるのを待つ集団なのだ。

もう賢い市民は気が付いていますよ。あなたたちが如何にひどい連中であるかを。

話を戻そう。誰かが判断してくれるのを待つ組織だ。

それはもう、懲戒制度ではない。
ただの外圧を無効化するための対応マニュアルである。

だからこそ、筆者は問いたい。

書類送検された時点で、あなたの組織は判断できますか?
それとも今回もまた、他人の判断を待ち続けますか?

この問いに即答できない組織に、公共の信頼を守る資格などない。