♯7119の理念と現場の声──なぜ「逆効果」と語られるのか
救急車を呼ぶべきか迷ったときに相談できる窓口「#7119」は、本来、救急車の適正利用を促すために導入された制度だ。京都府では2020年からこのシステムの運用が始まり、「本当に必要な人が119番で救急車を呼べるように」という理念が掲げられた。ところが導入から4年経った現在、救急出動件数は減るどころか過去最多を更新し続けており、府が期待していた効果はほとんど見られていない。救急相談窓口への相談件数自体は増加し、2021年度に約2万8千件だったものが2023年度には約4万9,800件に達したものの、それでも依然として救急搬送患者の約6割は軽症者が占めている。現場の消防職員からも「抑制効果はあまり実感できていない」との声が漏れるのが現状だ。
こうした状況に対し、現場からは「#7119は逆効果ではないか」という趣旨の発言すら聞かれる。制度導入の目的であった“不急の出動の抑制”が達成されていないどころか、相談対応に人員を割いたにもかかわらず、効果なく救急隊の負担が増えたという見方だ。実際、「#7119に電話しても『心配なら救急車を呼んでください』と言われるだけだった」という利用者の証言もあり、結局119番通報が減らないばかりか、余計なステップが増えて現場を混乱させているとの指摘もある。こうした声を背景に、#7119の導入そのものが「逆効果」だと語られるゆえんである。
自省なき現場と無責任なプロパガンダ
しかし、本来このシステムを有効に機能させる責任は他でもない消防組織にあるはずだ。にもかかわらず現場の消防職員たちは、#7119の効果が上がらない原因を市民の理解不足や制度上の問題にばかり転嫁し、自らの姿勢を省みていない。#7119の認知度が府民の2〜3割程度に留まっている現状も、裏を返せば普及啓発の努力が不十分だったことを意味する。にもかかわらず「市民が番号を知らないせいで効果が出ない」と嘆くのは、本末転倒であり責任逃れと言われても仕方がないだろう。
また、#7119の相談対応で結局「救急車を呼んで」と案内してしまうケースが多い現状にも、制度運用側の問題が潜んでいる。本来、軽症や緊急度の低いケースでは救急車以外の受療案内を行うことで出動を減らすのが#7119の役割だ。しかし現場ではリスクを恐れるあまり、少しでも不安があると結局救急出動させてしまっている。指摘にあるように、「心配なら救急車」という紋切り型の対応では抑制効果など出るはずもない。これは制度そのものの欠陥というより、運用する消防側の無策・及び腰が招いた結果である。それにもかかわらず、現場からは「市民が勝手に119番するから悪い」「制度自体が役に立たない」といった他責的な発言ばかりが聞こえてくる。自らの無能力を棚に上げ、問題の矮小化を図るこのような姿勢は無責任と言わざるをえない。
消防組織によるこうした自己正当化は、一種のプロパガンダとして機能している。マスコミ報道では毎年のように「救急件数が過去最多」「現場はパンク寸前」といった消防側の悲鳴がクローズアップされる。その裏で、「#7119も導入したが市民の理解が追いつかず効果が出ていない」といった言説が垂れ流されれば、聞く側は「現場は精一杯努力しているのに大変だ」という印象を抱くだろう。こうして責任の所在がうやむやにされたまま、現場の組織体質は温存されていくのである。
騙される市民、繰り返される「多忙アピール」
実際、Yahooニュースのコメント欄などを見ると、現場の救急職員を無批判に擁護する市民の声が数多く見受けられる。例えば「結局どんな制度を作っても救急要請は減らない。現場が大変なのは悪質な利用者のせいで、消防を責めるのはお門違い」といった意見や、「#7119導入で現場の負担が余計に増えただけ。もっと人員を増やすべきで批判は筋違い」というコメントが支持を集めている。中には「高齢化で救急需要が増えているのだから、消防が忙しいのは当然」と、現場を全面的に擁護する声もある。だがこれらの主張は数字や実態に基づかない感情論に過ぎず、前述のプロパガンダに市民がまんまと乗せられている典型と言えよう。
まず、高齢化による救急需要増は確かに一因だが、それならば本来#7119などの仕組みを活用して軽症者の搬送割合を下げる努力がより重要になるはずだ。現に東京消防庁では#7119の活用で救急出動の増加率を全国平均より抑制できたというデータもあるようだ。京都府でも軽症者が全体の6割を占める現状を放置せず、本気でその割合を減らす取り組みを行えば、救急現場の負担軽減は不可能ではない。それをせずに「社会のせいだから仕方ない」と諦めるのは、問題の核心から目を背けた安易な考えだと言わざるをえない。
また、「現場が多忙でかわいそうだから批判すべきでない」とする意見も見当違いだ。忙しさを訴えること自体は現場の悲痛な声かもしれないが、それが免罪符になるわけではない。むしろ、その多忙を招いている要因に現場自身が手を打っていないからこそ、毎年のように「多忙アピール」を繰り返さざるを得ないのではないか。市民は感情移入するあまり、この悪循環を見落としてはいないだろうか。「大変ですね」と同情するだけでは、救急制度は一向に改善しないのである。
救急制度の真の欠陥とは何か
以上のように、「#7119を入れたのに救急件数が減らないのは市民の意識が低いからだ」という現場の論調やそれを擁護する声は、問題の本質を取り違えている。救急制度の真の欠陥は、市民側ではなく消防組織側にこそあるのではないか。本来、制度導入の趣旨を徹底し運用上の課題を解決していくのは消防の責務であり、現場の創意工夫次第で効果を上げる余地は十分にあったはずだ。にもかかわらず、「忙しい」「想定外だ」と言い訳ばかりが先行し、自ら現状を変える意思も能力も示してこなかった組織体質こそが最大の問題と言えよう。
そもそも救急車の不適切な利用が後を絶たないのは、一部心ない利用者のモラルの問題であると同時に、消防側が安易に出動要請に応じ続けてきた歴史でもある。#7119の導入は本来、その悪循環を断ち切るチャンスだった。しかし結果を見る限り、現場は従来通り「断らずに出動する」体質を温存したまま、ただ新たな相談窓口を付け足したに過ぎなかった。それでは何の改革にもならないのは当然だろう。制度の趣旨を理解せず有効活用できないまま、「導入したけど効果なし」と結論づけてしまうのは怠慢以外の何物でもない。
結局のところ、「#7119逆効果」論の裏で浮き彫りになるのは、現場の自己改革力の欠如と責任放棄の姿勢である。救急相談制度が機能しない原因を外部に求めている限り、どんな新施策を講じても同じことの繰り返しだろう。「本当に必要な人に救急車を届ける」という大義名分も聞いて呆れる。真に批判されるべき「救急制度の欠陥」とは、まさにこの消防組織の無能と無責任さに他ならないのである。
救急負担軽減策を他人任せにする消防に「善」はあるのか
本来、#7119のような救急相談窓口は“救急車の適正利用”という 消防自身の業務負担を軽減するため の施策であり、 設置主体は消防本部であるべき だったはずだ。ところが実際には、肝心の消防組織に事業を立案・完遂する力量がなく、「遠くから口は出すが手は動かさない」職員ばかりが目立つ。結果、救急業務(市町村消防)の現場を見かねた 都道府県 が主体となって #7119 を運営するという倒錯した構図が生まれた。都道府県は本来、救急車の運用など消防実務を持たない立場であるにもかかわらず、「市町村消防の負荷を下げる施策」を肩代わりしているわけだ。
それでも消防本部は、自らの無策を直視しないまま「#7119は逆効果だった」と批判を繰り返す。自ら企画も運営もできず、助け舟を出してもらった制度すら否定する――その姿勢には「善」のかけらも見当たらない。自分たちのウィークポイントを認められず、改善の努力も放棄したまま外部に責任を押し付ける。そんな組織が「市民の命を守る最後の砦」と胸を張れるのだろうか。消防が真に信頼を取り戻すためには、まず “他人任せ” の体質 と決別し、自らの無能を直視するところから始めるしかない。