【Instagram】なぜ消防は踊り、歌うのか?──広報活動に隠れた組織の本質【インスタ】

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「市民との距離を縮める広報」という建前の裏にある現実

 SNS、とりわけInstagramを活用した消防本部の発信が全国各地で活発になっている。とりわけ目立つのは「踊る」「歌う」「おどける」といったエンタメ寄りの投稿である。制服姿でポーズを決め、音楽に合わせて踊り、TikTokで流行しているようなリール動画を公式アカウントから配信する消防本部の姿を目にしたことがある読者も少なくないだろう。

 公式には「若年層との接点を増やす」「防火防災意識を楽しく伝える」「採用広報の一環」といった説明がなされている。しかしながら、その言い訳はあまりに薄っぺらい。火災や救急の最前線で命を預かる立場の者が、自らの存在価値を安売りし、パフォーマンスに血道を上げる光景は、どう見ても品位ある行動には見えない。

 たしかに広報という観点から見れば、目を引く動画コンテンツが一定の「注目」を集めるのは間違いない。だが、問題は「何のために」「誰のために」「どのような意図で」その行為が行われているかである。

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踊る消防士の裏にある「暇」と「自己顕示欲」

 ではなぜ、これほど多くの消防本部が、あえて踊ったり、歌ったりする動画を広報活動として選ぶのか。その背景にあるのは、想像以上に根深い問題である。

 まず前提として、こうした動画の撮影や編集には時間と人員が割かれている。つまり「それだけの余裕がある」ということだ。災害対応に追われていれば、こうした活動はできない。にもかかわらず、複数人で撮影し、踊りの練習をし、衣装や演出を練り、編集作業までこなしている。そこには、「本来の業務がそれほど逼迫していない」ことの裏返しとしての“暇”が存在している。

 さらに、広報という名を借りて、実のところ「自分を目立たせたい」「人気を得たい」といった自己顕示欲が透けて見える場面も多い。広報の表向きの目的ではなく、SNS上で“バズる”ことをゴールと錯覚し、表現の自由を履き違えたPR活動に熱を上げている。

 仮にそれが「若者の採用につながる」としても、誤解を招く恐れがある。現場の過酷さ、命に関わる緊張感、失敗が許されない重責──そういった“リアル”が一切見えない、ライトなイメージだけを振りまいている広報活動は、職業観を誤認させる。そこに真実はなく、まさに「虚像」の世界だ。


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なぜ誰も止めないのか──組織の自浄能力の欠如

 こうした軽率な広報活動が、なぜ各地で平然と行われているのか。それは、消防という組織が持つ「内向きな評価構造」と「自浄能力の欠如」に起因する。

 消防組織にはしばしば、実績や評価が「波風を立てず、問題を起こさない人」に偏るという傾向がある。つまり、危険な現場で優れた判断をした隊員よりも、会議での発言を控え、指示に従順な職員のほうが「扱いやすい」として評価されてしまうのだ。広報に関しても同様で、「とにかく見栄えの良いものを出せばよい」「市民受けしそうな内容なら何でもアリ」といった判断基準が先行してしまう。

 結果として、SNSのフォロワー数や「いいね」の数が、まるで職務の価値を測る指標かのように扱われるという本末転倒な事態が起こる。そしてそれを止めるべき立場の上司は、いずれも“波風を立てない側”であるため、静観することが常態化する。

 要するに、誰も責任を取らない、誰も正さない、誰も異を唱えない。それが現在の消防広報の病巣である。

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本来の使命はどこへ──失われた“現場のリアリティ”

 消防の本来の使命とは何か。それは「災害から人命を守る」ことであり、緊急事態に対し即応し、救助や消火に全力を注ぐことである。加えて、災害を未然に防ぐための防火指導や訓練指導も重要な任務のひとつである。

 だが、今SNSをにぎわせている踊る消防士たちは、果たしてその使命を体現しているのだろうか? 残念ながら、広報活動と称するコンテンツの多くは、「真剣さ」や「緊張感」といったものからは程遠い。ふざけた演出、ノリの軽いダンス、無意味なキャラクター化。それらは市民に誤解を与えかねないし、現場で命を張って活動している本来の職員への冒涜でもある。

 中には「親しみやすさの演出」と擁護する声もあるが、そもそも市民との信頼関係は、笑顔やダンスではなく、誠実で的確な活動の積み重ねによって築かれるものである。広報は「伝える」手段であって、「ごまかす」手段ではない。


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消防は暇”を自ら証明してしまった罪

 さらに重大なのは、こうした広報活動が「消防は暇だ」という印象を強めてしまっている点である。実際、SNSで“踊る消防士”を見た市民の中には、こんな疑問を抱いた人も少なくないはずだ。

「え?こんなに暇なの?」「普段は何してるの?」「訓練って、これ?」

 もちろん、消防業務には待機時間も存在し、ずっと現場に出動し続けているわけではない。だが、その空き時間をどう過ごすかは、組織の姿勢そのものを映し出す鏡でもある。空き時間に新たな訓練を行ったり、災害時の連携強化に向けて他機関と調整したり、地域住民への安全啓発活動に回ったり――やるべきことは山ほどあるはずだ。

 それをせず、「踊る」「歌う」「ふざける」ことに時間を割くのであれば、それはもう「暇である」と証明してしまったに等しい。しかもその証拠を、わざわざ自分たちでSNSに投稿しているのだから、開いた口が塞がらない。


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市民は気づき始めている──税金の使われ方の違和感

近年、SNSで踊る消防士たちへの違和感を表明する市民の声も増えてきた。

  • 「こんな動画に時間と人手を割く余裕があるなら、災害対策の強化に使ってくれ」
  • 「なんで税金でコント作ってるの?」
  • 「消防って、もっと真剣な職業じゃなかったの?」

 こうした声は決して過激ではなく、極めて妥当であり、合理的な疑問である。消防は税金によって運営される公共機関であり、市民がその活動に対して疑義を抱くのは当然のことだ。

 また、行政組織に対する市民の信頼は、単に災害時の活躍によって得られるものではない。日々の行動、情報発信、職務態度――そのすべてが評価の対象であり、「あの人たちは真面目に働いている」という安心感の上に成立しているのだ。

つまり、消防の広報は、もはや単なる“PR”ではない。「信頼を維持するための義務」なのである。


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「踊る広報」の先に待つ崩壊

本来の任務から離れ、「踊る」「映える」ことを優先した広報活動は、消防という組織の根幹を揺るがすリスクをはらんでいる。

 市民の信頼を失えば、予算削減や人員整理といった“組織の崩壊”は一気に現実味を帯びる。そして何より、現場で命を懸けて真面目に働いている職員たちが、「目立ちたがりのパフォーマンス部隊」と同列に扱われることで、やる気や士気を削がれることが最も深刻な損失である。

 消防という組織が本来の姿を取り戻すためには、今一度、「なぜ存在しているのか」「何を市民に届けるべきか」という原点に立ち返る必要があるだろう。

 まぁ、そんなことを考えられる人材は各消防本部には残っていません。残っていないからこそ、こんな愚行につながるのだから。