ニュースの概要
2025年8月22日、松阪市の枯草火災に明和消防署の消防車が出動。
現場で放水に移ろうとした際、積載タンク(約1.5トン)が空であることに気づいた。火は直後に到着した別の車両で消し止められ、人的被害はなかった。
6月の点検でタンクの水を抜いた後に再給水を失念し、毎日実施すべき水量計確認も怠っていたという。
水なし出動はこのケース以外に10回に及び、いずれも放水機会がなかったため露見しなかった。
何が起きたかは偶然ではなく必然
現場で水が出なかったのは、単発の凡ミスではない。
抜水後の再給水忘れという初歩の過誤に、日常点検の不履行が重なり、さらに水なしのまま現場へ向かう判断が繰り返された。
複数の安全弁が同時に死んでいたことを示す事実である。
忙しさを強調する言説は、責任回避の方便にすぎない
消防職員が日頃並べる常套句は、日々の厳しい訓練、休む間もない点検と事務、命を懸ける活動。
だが、水なし出動が11回という数字は、これらの言葉と整合しない。
忙しいと唱えるほど、訓練や点検に時間を費やしていたのなら、最初の1回目ですでに発見できたはずである。
繰り返しの前に止まらなかった現実は、忙しさの演出が責任から、自分たち消防職員の怠慢から視線をそらす装置になっていることを物語る。
訓練や点検をしていない事実が、消防組織の実態を暴露している
訓練とは、現場で起こし得る最悪を前提に、基本確認を身体化する営みである。
点検とは、機能不全を未然に断つ最後の砦である。
そこで発見できるはずの不具合を、長期間見落としていたという一点だけで、組織の基礎機能が失われていることは十分に推認できる。
現場での異常早期発見、隊内の相互指摘、出動前の復唱確認――こうした当たり前の層が積み上がっていないからこそ、空のタンクがそのまま街を走った。
私見(元現場の経験から)
現職時代に、水が半分しか入っていない、空気ボンベ残量が不足、ホースが所定にない――
こうした小さな穴は日常に無数に発生している。ただ、数時間から10数時間の間に発見することが出来ていた。
普段は表に出ないだけで、構造的に同種のリスクは常在している。
今回が表面化したのは、たまたま現場で放水が必要になったからにすぎない。露見しなかった10回が示すのは、起きていないではなく気づいていないという厳しい現実だ。
結びに
水という最小単位の準備が欠けたまま出動が続いた事実は、虚飾をまとった組織文化の影を薄くも濃くも示している。
今回は他隊の到着が早く、命は守られた。しかしそれは偶然の救済であって、職能の証明ではない。