「死んでも仕方ない現場」は存在しない 消防が直視すべき唯一の原因

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殉職の原因を外的要因に帰すことの危うさ

 2025年8月の火災で、2名の消防士が殉職した。市や県は「原因究明を進める」と表明したが、ここで早くも大きな違和感を覚える。
 なぜなら、この「原因究明」という言葉の裏側には、結論を外的要因に押し付けようとする構図が透けて見えるからである。

「雑居ビルで階段が一つしかなかった」
「消防法令違反があった」
「建物構造上、消火活動が困難だった」

 おそらく、こうした条件の特殊性が原因として並べられるだろう。しかし、それはすなわちそのような火災なら消防士が殉職しても仕方がないという結論を認めることに他ならない。言い換えれば、死ぬことが前提の現場に送り出す組織の自己正当化である。


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「火災は現場ごとに異なる」という常套句

 消防当局は必ずと言っていいほど「火災は一件ごとに状況が異なる」と口にする。しかし、この言葉を免罪符にしてはならない。

 確かに、同じ火災現場など二つと存在しない。それでもなお、求められる使命は普遍である。

 すなわち、どんな火災であっても消火を完遂し、市民を守り、そして消防士自身を殉職させないという当たり前の結果を出さなければならないのだ。

 そのための知識や判断力は決して超人的なものではない。極論を言えば、ネイティブに英語を習得するよりもはるかに簡単で、1か月もあれば習得可能なレベルのはずだ。

 にもかかわらず、現実の消防組織は30年経ってもそれを身につけられない。結果として、同じ過ちを繰り返し、殉職を「やむなし」と片付ける愚を犯し続けている。


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真の原因は“意思決定の甘さ”にある

究明すべきは建物の構造ではない。法令違反の有無でもない。
真の原因はただひとつ、 現場の意思決定の甘さ である

 消火活動をどのように展開するのか、隊員の安全をどう確保するのか。最終的に判断するのは建物でも火災の性質でもない。現場を指揮する人間の意思だ

 そしてその判断を誤ったとき、犠牲になるのは必ず末端の隊員である。


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必要なのは勇敢さではなく冷静さ

 日本の消防組織は、いまだに「勇敢」「自己犠牲」を美徳とする文化に縛られている。しかし、命を救うのに必要なのは勇敢さではなく冷静さである。

 現場の中に飛び込みながら感情に流されるのではなく、全体を見渡し、冷静に判断する立場を別途置くべきだろう。

 そうでなければ、今回のような「原因究明」は繰り返しの口実となり、次の殉職を正当化する免罪符にすぎなくなる。

 再発防止を本気で考えるならば、【原因はすべて消防自身の判断にある】という厳しい結論を受け入れることから始めなければならない。

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「原因究明」の名の下に繰り返される自己正当化

 殉職が起きるたびに、必ず市や県は「原因究明」を口にする。しかし実態はどうだろうか。

 それはあくまで「責任の矛先を外部要因へ向ける」ための調査に過ぎない。建物が古かった、法令違反があった、火災の勢いが強かった――そう並べ立てることで、組織は自らの判断の稚拙さを覆い隠すのである。

 だが、この姿勢こそが次の殉職を生む

 外的要因を並べて結論とすることは、消防士の死を「避けられなかったもの」として承認することと同義であるからだ。


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現場を支配するのは「文化」ではなく「判断力」

 消防組織の根底には、いまだに「勇敢に飛び込むことが美徳」とする文化が残っている。だが、その文化がどれほどの隊員を無駄に失わせてきたか。

 必要なのは勇敢さではなく、冷静さと的確な判断力である。

 火災現場は一瞬で状況が変わる。その中で、冷静に「ここから先は危険だ」「いま引くべきだ」と判断できる立場を組織的に確保しなければならない。

 現場に感情で飛び込む指揮官ではなく、俯瞰的に意思決定を下す存在を別途置くことが不可欠である。


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「死んでも仕方がない現場」など存在しない

 最後に強調したい。

 雑居ビルであろうと、階段が一つしかなかろうと、法令違反の建物であろうと――それを理由に殉職を「仕方がない」と認めることは許されない。

 消防の使命はただ一つ。どんな状況であっても、市民を守り、犠牲者を出さず、そして隊員を死なせないことである。

 原因を建物や外部要因に帰してしまう限り、消防は永遠にその使命を果たせない組織のままである。

だからこそ、殉職の「原因究明」の結論は一つでなければならない。
それは【消防自身の意思決定の甘さ】である。
この事実を直視しない限り、同じ悲劇は必ず繰り返されるだろう。