【報道されたのは快挙か、それとも空虚か】
2025年6月、ある女性消防職員が【機関技術局指導員】に認定されたというニュースが報じられた。
記事では、彼女のこれまでの努力と、現場経験を重ねてきたことへの賛辞が目立っていた。
「いつかなりたいと思っていた」という本人の言葉も紹介され、初の女性認定者として注目を浴びたのは確かである。
ただし、本稿が批判の対象とするのはその女性本人ではない。
焦点はむしろ、彼女を認定した【機関技術局指導員】という“制度のようで制度でない”存在にある。
一部の消防組織の中で称号のように流通しているこのような肩書。だがその実態を検証すると、制度の体を成していないことが明らかになる。
【制度の正体は名誉称号】条例にも人事表にも載っていない
【機関技術局指導員】という名称は、正式な階級ではない。
自治体の条例にも記載されず、人事異動の内示にも登場しない。
しかも、認定されたからといって給与が増えることも、資格として履歴に残ることもない。
言ってしまえば、外部には何の効力もない組織内限定の通称に過ぎない。
だが、その肩書が内部では重要な意味を持ってしまうのが消防の世界だ。
本人にとってはキャリアの一部として語られ、時に他者より優れた者として見られる要素にすらなってしまう。
その構造こそが問題であり、【名前にしかすぎないものを実績のように錯覚させる文化】を放置する組織の責任は重い。
まるで【ただのシールを勲章として扱う】かのようなこの構造は、現場主義を標榜する消防とは本来相容れないはずである。
【なぜ人はその称号を欲しがるのか】
消防職員の多くはこのような肩書を欲しがる。
なぜか。それは、その称号がほめ言葉の代替物として機能するからだ。
組織内において、「よくやっている」「信頼されている」という評価を明文化するのがこのような通称であり、
それによってモチベーションを上げたり、後進に対して影響力を持たせたりする意図がある。
つまり、【称号を配ることで職員をコントロールしようとする組織側の仕掛け】である。
その効果は確かにある。
だが、それはあくまで子どもにシールを貼ってやる気を出させる手法と本質的に変わらない。
行政組織としての自律性や公平性を損なうこの構造は、
早晩見直されるべきである──と、少なくとも外部の目からは見えるだろう。
【肩書が仕事をつくる】現場での実績よりも先に称号がある
消防組織において、【機関技術局指導員】のような称号は、本来なら実績に基づいて与えられるべきものである。
だが実際には、その順序がしばしば逆転している。
つまり、先に肩書を与えてから、それにふさわしい仕事をさせるという順序で物事が運ばれているのだ。
これは本末転倒である。
現場での明確な成果があり、誰もが納得するような貢献があって初めて、その肩書が与えられるのが健全な仕組みのはずだ。
だが、称号が先に存在してしまうことで、その肩書に意味を持たせるために無理やり役割を演出するという茶番が発生する。
消防車両の操作が未熟なままの職員が、指導員として活動する。
その状況を見て、現場で真剣に働いてきたベテランたちがどんな思いを抱くか、想像に難くない。
そして、「指導員がやる仕事だから」「肩書のある人がやるべきだろう」と、本来必要な力量に見合わない業務が割り振られ、組織全体の効率も信頼も損なわれる。
つまり、【肩書が仕事をつくっている】という不自然な逆転現象が起きており、これこそが消防組織における制度なき制度の害悪の本質である。
【称号を配ることで権力を握る幹部たち】
では、なぜこうした名誉称号制度が温存されているのか。
理由は単純で、その称号を与える側の権限が、組織内の影響力そのものになっているからだ。
幹部職員にとっては、称号を配ることは支配の手段である。
能力のある人に与えるのではない。
むしろ、都合の良い人間、上司に従順な人間、組織批判をしない人間に与えることで、【名誉と引き換えに忠誠を確保する】という目的で機能している。
そして、そうした名誉称号の価値を高めるために、周囲に「すごい人であるかのような演出」を行い、時にメディアや式典を利用して過剰に持ち上げる。
だが、実態を知る現場の職員ほど、その茶番に冷めた目を向けている。
それでもあえて声を上げないのは、自分が不利益を被ることを恐れているからに他ならない。
つまり、消防組織は【名誉称号を餌にして人事と沈黙を買う構造】になってしまっているのだ。
【通称が制度を侵食する組織に未来はあるか】
称号というのは本来、客観的な評価基準に基づくものである。
制度上の裏付けがあり、資格や職能と明確に結びついているからこそ意味がある。
だが、消防組織で横行しているのは、名簿にも記録にも残らない通称を、あたかも正式な役職のように扱うという矛盾だ。
このような【見せかけの制度】がまかり通る組織において、真に現場で力を発揮できる人材が正当に評価されるとは到底思えない。
しかも、こうした通称は、消防本部ごとに独自に設定され、統一された基準すら存在しない。
つまり【基準もない、記録もない、責任もない制度もどき】であり、それに人事評価や教育体制を委ねること自体が危険なのである。
【メディア利用と“女性初”という演出】
今回のニュースでは、女性職員が初の【機関技術局指導員】に任命されたことを取り上げている。
もちろん、これは女性職員個人を称賛するものであり、彼女自身に批判を向ける意図は一切ない。
しかし、報道のあり方や、それを主導している消防組織の演出には注意が必要だ。
なぜなら、今回の“女性初”という打ち出し方は、制度の中身や意義とは無関係に、
【外形的な印象操作】として機能しているからだ。
本来であれば、「制度の意義」や「選考基準の明確さ」「これまでの職歴との関連性」などが報道されるべきだが、
実際には称号そのものの曖昧さは一切触れられず、あたかも国家資格か何かのように扱われている。
ここで問題なのは、制度の中身ではなく、見せ方を変えることで正当性を装う体質である。
【消防内部での称号の“使われ方”】
消防組織内部において、こうした称号の実態は極めて都合よく扱われる。
現場で発言力を持たせたい人物がいれば、その人物に対して通称や称号を与える。
その肩書によって、訓練や講話の場での発言機会を確保したり、資料作成の担当者として配置したりする。
だが、肩書があることによって、その人の主張や行動が無条件に正しいとされるわけではない。
むしろ現場では、「あの人は称号があるから逆らえない」といった【不健全な上下関係】が形成されることすらある。
消防という実務集団において、必要なのは正確な知識と冷静な判断力、そして周囲との信頼関係である。
しかし称号の存在がそれらを歪め、【名誉欲と評価操作の温床】になってしまっているのが現実だ。
【誰のための制度なのか】
機関技術局指導員という制度が、本当に現場力の向上や人材育成に役立っているのか。
この問いに、胸を張って「はい」と答えられる消防幹部はどれだけいるだろうか。
本来、制度とは組織全体の効率や信頼性を高めるためにある。
だが、今の消防組織においては、制度が個人の権力のために乱用され、
それが常態化していることが問題なのだ。
もしも制度を建前としてしか使わず、実態を隠すことに終始するのであれば、
その組織に未来はない。
【見せかけの称号】【通称による評価操作】【制度もどきの演出】
こうした体質を是正しない限り、現場で苦しむ職員の声は永遠に無視され続けることになるだろう。