1. 【ニュース概要】消防士長が部下に罵声と暴行、停職1カ月の処分
2025年6月、鹿児島県の大隅曽於地区消防組合に所属する40代の消防士長が、訓練中に部下の尻を蹴るなどの暴行を加えたとして停職1か月の懲戒処分を受けた。
報道によれば、この消防士長は訓練中に「なめているのか」などと罵声を浴びせながら、若手職員の尻を足で蹴る行為に及んだという。
本人は「とっさにしてしまった」と話している。
処分内容からして、物理的・精神的な暴力が確認されており、組織としても一定の非を認めた形である。
だが、今回の事案を「尻を蹴った消防士長 vs 蹴られた部下」という単純な加害者・被害者構図で語ることは、あまりにも浅はかである。
2. コメント欄にあふれる“個人vs個人”の単純化
実際、Yahooニュースのコメント欄には、以下のような両極端な意見が並んでいる。
- 「蹴った方が悪いに決まっている。暴力は論外」
- 「若手の質が落ちすぎている。気持ちはわかる」
- 「暴力は否定するけど、現場を知らないと何も言えない」
- 「部下にキレるくらいなら管理職向いてない」
つまり、加害者個人の資質を断罪するか、被害者個人の態度を問題視するかという議論に終始しており、組織的な問題の根本には誰も目を向けていない。
しかし筆者は、この件における最大の問題は、蹴った消防士長でも、蹴られた若手職員でもないと断言する。
3. 蹴った側を責めるな、とは言わない。だが“蹴らせた側”を見落とすな
まず確認しておきたいのは、この40代の消防士長が「突如キレて人を蹴る異常者」ではないということである。
報道にも記載されていないが、おそらくこの人物は今年度採用の新人ではない。
むしろ、20年前後の消防歴を持ち、これまで後輩の指導や訓練に日々あたってきたベテラン職員である可能性が極めて高い。
もし、この20年間に一度も問題行動を起こさなかったとすれば──
そして、今回が初めての“懲戒対象”となる行動だったとすれば──
なぜ、このタイミングで突然「蹴る」という行為に至ったのか。
これを精神の劣化や人格破綻によるものだと結論づけるのは、短絡的すぎる。
4. 蹴ったのは“使命感”だったかもしれない
この消防士長が尻を蹴った理由。それは、報道で伝えられるような単なる怒りや激情ではなく、むしろ“使命感”や“正義感”からくる焦燥だった可能性が高いと筆者は見る。
- 「訓練を真剣に取り組ませたかった」
- 「現場対応に不安のある若手をそのまま出すわけにはいかない」
- 「一人の怠慢で全員の命が危険になる」
こうした想いが根底にあったのではないか。
それが、理性を超えて体に出た。それは決して正当化できない。だが、理解はできる。
そして仮にこれが正義感からくる行為だったとすれば、それは組織の側が本来対応すべき“現場の不安”や“若手の未熟さ”を放置していた証明でもある。
5. 無能な人材を現場に放り込んだ責任は誰にあるのか
消防という職種において、全ての隊員が同じような能力を持っているわけではない。
体力、気力、判断力、そして「現場で使える人材かどうか」は採用時には正確に測れない。
だがだからこそ、「適材適所に配置し直す」「訓練段階で修正する」など、育成と管理を司るのが幹部・人事の役割である。
今回、若手職員が何らかの不適切な行動を繰り返し、それが訓練全体の進行を妨げたのだとすれば、それを繰り返し許容していた組織側にも明確な問題がある。
育成方針がなかったのか。適正配置の見直しをしていなかったのか。
いずれにせよ、「そういう若手を、そういう現場に出した責任」は完全に人事担当者と管理職にある。
6. 幹部と総務の“怠慢”による現場の崩壊
では、なぜ組織側はこうした職員の配置ミスや育成不備を見直さなかったのか。
答えは明快である。責任を取りたくないからだ。
- 採用した職員が現場に不向きだった
- ならば配置転換する必要がある
- だがそれをすると「見誤った責任」が幹部に返ってくる
- よって、そのまま現場に送り出し、あとは現場の先輩に任せる
──これが、今の多くの消防本部に蔓延している人事の無責任構造である。
その結果、使い物にならない職員が現場に配置され、現場は混乱し、ベテランは疲弊し、ついには「尻を蹴る」という形で爆発する。
だが、蹴った人間ばかりが処分され、「蹴らせた人間」「蹴られる原因を放置してきた人間」には何の処分も下らない。
これでは現場は納得しないし、今後も同様の事件が繰り返されるだろう。
7. 【尻を蹴る】より重い、【人事で蹴る】という暴力
今回処分された消防士長の行為は、物理的な暴力である。
だが筆者は、それ以上に重く、そして見逃されがちな暴力があると考えている。
それは──人事による暴力である。
- 現場に向かない人間を無理やり配置する
- 能力が足りないと分かっていて育成も支援もしない
- 指導役の負担が増えても放置する
- 現場でトラブルが起きれば、上司だけ処分して終わり
この構図こそ、現場をじわじわと蝕む静かな暴力だ。
人事という権限を持ちながら、その責任を一切取らず、全てを「現場任せ」にするという行為は、制度を使った隠れた加害である。
そしてその結果として、誰かが怒り、誰かが蹴る。
「誰もが我慢していたのに、あいつだけ暴発した」。
そうやって、たった一人の暴力だけが切り取られて報道される。
だがそれは、氷山の一角であり、もっと深く、広く、組織に浸透している“放置の暴力”を見逃してはならない。
8. なぜ幹部は責任を問われないのか
消防組織では、幹部や総務、人事の責任が公の場で問われることはまずない。
- 採用ミスも処分されない
- 配置ミスも処分されない
- 育成の不備も処分されない
- そして、処分対象となるのは「目に見える問題を起こした現場の人間」だけ
これは、公務員制度の中に存在する強固な無責任構造によって生まれた“常識”である。
問題を「起こさなかった」人間より、「起こした」人間の方が責められる。
たとえ、その“問題”が、長年の人事放置の果てに生じたものだとしても、である。
この歪みを放置する限り、現場では怒りがくすぶり続け、次なる事件は必ず起きる。
9. 誰もがケツを拭きたくない組織
今回の件を、単に「暴力事件」として処理してしまえば、また同じことが繰り返される。
そして現場ではこうささやかれる。
- 「あの若手、やばかったんだってよ」
- 「でも、誰も何も言えなかったんだよ」
- 「上は見て見ぬふりだったしな」
- 「結局、あの人が爆発して終わっただけだよな」
つまり、最初から「誰もケツを拭きたくなかった」案件だったのだ。
採用も、教育も、配置も、トラブルの発芽も。
すべてが曖昧に処理され、誰も手を出さなかった。
そして最終的に、その“ケツ”を文字通り蹴った人物だけが処分された。
組織はそれをもって「対応済み」とする。
こんな不誠実な話があるだろうか。
10. 最後に──この不祥事の主人公は、あなただ
今回の事件で、最も責められるべきは誰か。
それは蹴った消防士長でも、蹴られた若手職員でもない。
彼らを見て見ぬふりしてきたすべての組織構成員たちである。
- 幹部として部下の適性を見極めなかった者
- 配置換えを検討しなかった総務
- 問題を共有せず、沈黙した管理職
- そして、「また起きたか」で済ませる我々
この不祥事の主人公は、誰でもない。消防職員全員なのだ。
消防組織が「蹴った奴が悪い」で終わらせるたびに、現場の課題は消えていく。
それこそが、最も根深い暴力である。