仮眠中に届かなかった指令──消防組織の実態が露呈した名古屋の事故

名古屋 中部地方
スポンサーリンク
スポンサーリンク

ニュースの概要:仮眠室に指令届かず、心肺停止の男性への到着6分遅れ

 2025年5月、名古屋市消防局に所属する救急隊員が、仮眠室での指令受信の「設定変更」を誤ったことで、出動命令が救急隊に届かず、結果的に現場到着が6分遅れるという事案が発生した。出動先では60代の男性が心肺停止の状態で発見され、最終的には病院で死亡が確認された。

 通常、夜間勤務中の救急隊員は仮眠室で待機しており、指令があれば無線やスピーカーを通じて即時に出動できる体制を取っている。ところが今回、設定を適切に行っていなかったことから、救急要請の指令が仮眠室に届かず、結果として重大な遅延を招いた。消防局は「再発防止に努める」としているが、事の重大性と責任の所在については明確な説明がなされていない。

 この事件は、表面的には単なる「設定ミス」とされているが、実は消防組織が内包する構造的問題を如実に映し出している。以下、いくつかの論点に沿って深掘りし、なぜこのような初歩的なミスが「起こるべくして起こった」のかを論じたい。


スポンサーリンク

多忙アピールの虚構──仮眠中の“熟睡”が命を奪った?

 消防組織は常々「24時間365日、市民の命を守っている」「眠る間もない多忙な業務」といったキャッチフレーズで市民の信頼と感謝を勝ち得てきた。しかし、今回のような仮眠中の爆睡とそれに伴う重大な設定ミスが露呈した以上、そのイメージ戦略は見直されるべきだ。

 そもそも仮眠とは何か。「緊急事態に即座に対応するために短時間で目を覚ますことができる休息」と理解されているはずだが、実際のところはふかふかの布団での熟睡である。消防署の仮眠室は決して簡素ではない。静音性の高い室内、快適な寝具、照明調整。勤務の合間の「休憩」ではなく、まるでホテルのような環境で「就寝」しているのが現実である。

 この事件が起きた夜も、誰一人として詰所(事務所)や車両の状態を監視するモニターの前にはいなかった。たとえ消防署の目の前で火災が起きていても、誰も気づかなかったであろうというのが実態である。仮にこのとき救急要請がなければ、朝までぐっすり眠っていたであろう。このような現実に直面したとき、果たして「命を懸けて働いている」という常套句は通用するのか。

スポンサーリンク

仮眠ではなく「就寝」──税金で運営される“快適労働”

 仮眠室の防音設備や空調管理、寝具の整備状況を見ると、それはもはや“宿泊施設”である。実際に現場で働いた経験を持つ者からは、「出動がなければ一晩ぐっすり眠れる」などという声も聞かれる。

 にもかかわらず、消防側からは「夜間勤務の過酷さ」や「睡眠不足によるストレス」といった言葉がしばしば発信され、結果的に“激務”であるかのようなイメージが醸成されている。だが今回のように仮眠中の指令設定ミスが露呈したことで、消防の勤務実態が“快適すぎる勤務”であるという側面が改めて浮き彫りになった。


スポンサーリンク

仮眠室の設定ミスは「個人の責任」か、それとも組織の慢心か?

 名古屋市消防局の発表によれば、「指令の音声が仮眠室のスピーカーに届くようにする設定がされていなかった」とのことだが、この設定作業はほとんどの消防署で“署単位”で日常的に行われているものである。つまり、今回のミスは「現場の誰か」がやるべきことをやらなかったという、ごく単純な怠慢である可能性が高い。

 この設定とは、音声指令を各所に送るルーティン作業に関するもので、たとえば仮眠室・詰所・訓練場などのスピーカーを時間帯ごとに切り替えるような内容だ。夜間には訓練場や事務室のスピーカーを切って仮眠室だけを有効にする──たったそれだけの話である。

 それを怠り、なおかつ全員が詰所を離れて熟睡していたというのが今回の事件の本質である。いくら本部が高度な通信システムを導入しても、最後の設定ひとつで全てが無に帰す。そして何より恐ろしいのは、こうした設定ミスが“誰の責任か”を曖昧にしたまま処理されることが多いということだ。

スポンサーリンク

なぜ消防士の高給と処遇は問題にならないのか?

 消防士の給与水準は一般の地方公務員と比べても高めに設定されており、年収ベースで見ると30代で600万円を超えることも珍しくない。にもかかわらず、その勤務実態は今回のように「爆睡」「設定忘れ」「仮眠室放置」といった緩さが散見される。

 さらに、事務職員などと異なり、夜勤を伴うことで手当も加算される。その実情はというと、夜勤の実働時間は出動件数に応じて増減するものの、件数が少なければほぼ休憩時間に費やされる。言い換えれば「待機するだけで手当がつく」状態である。

 税金で運営されている組織でありながら、こうした勤務実態が市民に明示されることはほとんどない。そして何より、彼らが「命を懸けている」「いつ呼ばれてもすぐ出動する体制」と強調するたびに、市民はその主張を疑うことなく受け入れてきた。

 だが、今回のような事例を見ると、もはやその“免罪符”は通用しないだろう。

スポンサーリンク

このままでは救える命も救えない──仮眠体制の再検証を

 この件の最大の問題は、仮眠設定の不備そのものではなく、それに気づく者が誰一人いなかったという“異常なまでの緩み”にある。いくら「一部の手順を失念しただけ」と説明しても、そもそも指令が届いていないことに誰も気づかない時点で、現場に緊張感が存在していなかったことは明らかだ。

 仮眠中であっても、仮に不測の事態があればすぐに起き上がり、対応できる──それが仮眠の本質であって、完全に“就寝”してしまっているのであれば、それは単なる睡眠である。

 この仮眠制度の存在意義を根本から問い直す必要がある。少なくとも、名古屋市消防局のこの消防署では、「仮眠中の救急指令は一切届かず、誰も気づかなかった」という実態が起こってしまった以上、それは“偶発的な事故”ではなく、日常的な緩み”の結果と見るべきだろう。

 仮眠が必要な勤務形態であるのは事実としても、その緊張感を維持する仕組みと姿勢が失われているのであれば、いまこの瞬間にも、また同じような失敗が別の現場で起きているかもしれない。


スポンサーリンク

組織の「ぬるま湯体質」がもたらす構造的怠慢

 過去に筆者が指摘したように、現代の消防本部は極めて“ぬるま湯体質”に陥っている。危険性や緊張感を盾に、他の公務員以上の給与を得ながらも、その責任や厳格さにおいては年々緩みが広がっている。

 今回の件では人命が関わっている。しかも、出動の遅れが直接的に影響を与えた可能性を否定できない以上、重大な過失である。しかしながら、報道を見る限り、消防側の反応は「手順ミスを再発防止する」というありふれたコメントに留まっている。

 これが民間企業であれば、現場責任者は即日異動、管理者は処分、組織としての体制見直しが即時に発表されていてもおかしくない。しかし、公務員組織は違う。「再発防止」「注意喚起」「研修徹底」──いつもの言い訳が繰り返されるだけで、本質的な改革が進むことはほとんどない。

 このような体質は、もはや構造的怠慢と呼ぶほかない。


スポンサーリンク

締めに──市民が払う代償は「無責任の連鎖」

名古屋市民はこの件をどう捉えるだろうか?
もしかすると「誰にでもミスはある」と思うかもしれない。
しかし、今回のミスは“寝ていて指令に気づかなかった”という致命的なものだ。

その結果、一人の市民が心肺停止状態で発見された──この事実は、重く受け止めるべきである。

しかも、このミスによって責任が問われたのは、おそらく当事者だけ。
組織としての体制整備の問題は棚上げされたままになる可能性が極めて高い。

このような連鎖を許し続けるかぎり、市民がその代償を払い続けることになる。