1. 事件の概要
2025年5月30日、三重県四日市市消防本部の40代男性職員が、職員の部活動費を不正に引き出していたことが発覚し、停職6か月の懲戒処分を受けました。男性職員は2021年5月から2024年10月にかけて、自身が会計を務める「部活動」の口座から約180万円を不正に引き出し、さらに別の親睦団体に対しても虚偽の申請を行い、約50万円を不正に受け取っていたとのことです。本人は「ギャンブルの返済で生活に苦労し、やってはいけないことをしてしまった」と話しており、同日付で依願退職しています。
2. 部活動の位置づけと組織の対応
問題となった「部活動」は、消防職員が任意で参加する部活動であり、公的な組織図には存在しない外部団体です。このような任意団体に対して、消防本部が刑事告発を行ったことには疑問が残ります。
通常、任意団体の資金に関する問題は、団体内部で解決されるべきであり、消防本部が被害者として告発するのは適切ではないと考えられます。また、部活動費に公的資金が投入されていた場合、さらに大きな問題となります。このような曖昧な組織の位置づけが、不適切な対応を招いた可能性があります。
3. 懲戒処分の一貫性と公平性
今回の事件では、男性職員が刑事告発されたものの、不起訴処分となり、その後停職6か月の懲戒処分を受けています。しかし、同様のケースが他の職員や一般市民に対しても同じように扱われるのか疑問が残ります。
例えば、友人同士で旅行の計画を立て、代表者が集金したお金を個人的な借金の返済に充てた場合、同様の処分が下されるのでしょうか。懲戒処分の基準が明確でなく、組織内外での対応に差があることは、公平性を欠くものと言わざるを得ません。
4. 「消防本部が被害者」という構図の違和感
今回の刑事告訴について特に違和感を覚えるのは、消防本部が「被害者」として刑事告訴を行っている点です。繰り返しになりますが、「部活動」は消防本部の公式な機関ではなく、あくまで任意の親睦団体です。つまり、その資金も業務の一環で管理されるものではなく、個人が趣味や健康増進、交流のために自主的に関与している活動にすぎません。
このような組織における資金不正を、なぜ「消防本部」が自ら被害者として立ち上がったのか。そこには、内部の秩序を保つためというよりも、組織としての「メンツ」や「対外的なイメージ維持」を重視した対応であるように思われます。まるで、団体の威信を守るために、あたかも「自分たちの予算を盗まれた」と主張しているようにも見えるのです。
仮に、消防本部がその団体に補助金等を支出していたということであれば、公費流用の観点からの問題提起も理解できますが、現時点でそのような情報は報道に含まれていません。むしろ、「業務外」「私的活動」であるがゆえに、組織と切り離されるべきであり、職員個人あるいは関係者が被害届を出すべき事案だったのではないでしょうか。
5. 停職処分の論理性と将来の前例としての影響
仮に、今回のように任意団体で発生した金銭トラブルに対して、組織が懲戒処分を下すことが認められるのであれば、今後、似たような事案があらゆる職員に広く波及することになります。
たとえば、前述のように、高校の同級生たちとの私的旅行において、旅行代を預かった消防職員がその一部を私的流用し、結果的に旅行は成立したが金銭的不正があったとすれば、これは「部活動の資金横領」と同等の行為です。
そうした場合に、消防職員であるという理由だけで停職処分になるというのであれば、私的行為に対する懲戒処分の線引きが極めて曖昧になるでしょう。組織としては、職員の信用を維持するために厳正に処す必要があるという建前があるかもしれませんが、「業務」と無関係な行為にまで処分が及ぶのであれば、それはすでに「職業差別」や「監視社会」の域に足を踏み入れていると言えます。
このように、今回の処分は、将来的に「私生活上の問題」や「職員の交友関係における不正」まで懲戒対象となる前例を作ってしまいかねないのです。
6. 消防組織と外部活動の境界線の曖昧さ
そもそも、消防職員による「部活動」や「親睦団体」が組織内で暗黙的に認められ、かつ、その管理や運営があいまいなまま継続されてきた背景自体が問題です。公式な組織図にも存在せず、規約も公的に明示されていない団体に、複数名の職員が関わり、組織的に資金が動いていたという構造こそが、今回のような事案を招く温床となっています。
実質的には公務員としての立場を使い、ある種の「組織力」や「職場文化」により運営されてきたがゆえに、事件化した際には「誰の責任か」が不明確になり、処分や告訴の主体すら混乱を招いています。組織は事件が起きたとたんに「個人の問題」と切り捨てる一方で、名誉回復や再発防止といった理由で過剰な処分や介入を行っているように映ります。
これでは、制度としての整合性もなければ、公務員倫理としての一貫性も保てません。
7. 「組織の外」にあるはずの問題を「組織の内」に持ち込むリスク
今回のように、本来であれば職員個人やその周辺による任意の活動で起きたトラブルが、組織としての「顔」を持つ消防本部によって刑事告訴という形で処理されると、問題の輪郭が歪みます。
「部活動」は消防本部の正式な機関ではなく、当然その口座も市の公金口座とは別です。ならば、そこに預けられた金銭の管理責任や法的関係は、あくまでもその部員個々の合意と信頼関係によって構成されるべきであり、公務としての義務や権限の範疇ではありません。
それにもかかわらず、消防本部が「処分の主体」となり、「告訴の当事者」として登場することで、「組織としての名誉を守る」という目的が先行してしまった可能性は否めません。これは、極めて危うい前例です。
というのも、同様の理屈で「消防職員がプライベートで行った全ての活動」に対して、消防本部が告訴・処分・監督の対象として介入可能となってしまうからです。これが許されるのなら、職員は私生活の一挙手一投足にまで公的責任を問われかねず、憲法が保障する私的領域の侵害にすらつながる恐れがあります。
8. 締めくくり:組織の威信と倫理がすり替わる危険性
消防組織が内部の不祥事に対して処分を行うこと自体は必要不可欠です。しかし、どこまでが「組織としての不祥事」で、どこからが「個人としての問題」なのかを明確に峻別しなければ、倫理の基準そのものが恣意的になります。
今回の件では、被処分者が不正を認め、依願退職しているという事実もあり、処分自体に正当性があるように見えるかもしれません。しかし、その前提として、「その団体が消防本部とどういう関係にあるのか」「被害を受けた主体は誰なのか」という根本的な視点が曖昧なまま、既成事実化されてしまった感は否めません。
職員が犯した罪と、その職員が属する組織の責任を結びつけるには、慎重な検討と明確な線引きが必要です。倫理を盾にして、組織の威信回復に邁進するあまり、本来あるべき「公務員倫理」の意味が形骸化してしまっては本末転倒です。