長崎市消防局の新たな試み
長崎市消防局は、救急隊員の疲弊を軽減するため、搬送先の病院内での休憩を試行的に開始しました。これにより、連続出動や長時間の救急活動で消防署に戻れない状況を改善し、隊員が食事や水分をとることができるようにすることを目的としています。
この取り組みは、救急出動件数の増加に対応するためのものであり、救急隊員が搬送先の病院内で休憩スペースを利用することで、迅速かつ適切な救急対応を維持しつつ、隊員の健康と安全を確保することを目指しています。
救急出動件数と救急車の稼働状況
長崎市消防局の管内では、2024年の救急出動件数が約29,058件で、1日平均約79.6件となっています。救急車の台数は約18台と推定され、1台あたりの平均出動件数は約4.4件/日となります。
1件あたりの救急事案に対応する時間を全国平均よりやや長い1時間と設定した場合、1日あたり4.4件の救急件数である場合、1日10件以上となる確率は約0.36%となります。つまり、365×0.36%=約1.3となり、1年のうち1日程度です。
逆に、同じ条件で1日に1件も救急事案がない確率は0.75%であり、365×0.75%=2.7となり、3日近くあるということです。365日のうち約3日は消防署から救急車が動かないということになります。
ちなみに、この計算は1日10件という条件での計算ですが、1日のうち10件連続という条件を加えると、そんな日が来る確率は約83年に1日です。
このようなデータから見ると、救急隊員が「10時間以上戻れない」状況は、年間を通じて非常に稀なケースであることがわかります。
しかし、長崎市消防局はこのような稀なケースを取り上げ、あたかも日常的に発生しているかのような印象を与える情報発信を行っています。これは、数学的センスや論理的思考を持たない人々に誤解を与え、危険な事態を招く可能性があります。
同じ市内でも、忙しい都市部の救急隊と、暇な農村部の救急隊があるんだ!とかいう稚拙な反論はさすがにないとは思いますが、それは消防本部内のマネジメントの問題です。
時間や件数を問題とするのであれば、移動配備やら時間による配置換えでそれを消化することは簡単です。もし、頭の片隅に、忙しい都市部の救急隊と、暇な農村部の救急隊があるんだとか思ったのであれば、進退を本気で検討した方がいいですね。
美談の裏にある「税金と現実」の乖離
長崎市消防局の「10時間以上戻れないこともある」という発信は、あたかも救急隊が極限まで働いているかのような印象を市民に与えます。確かに現場には過酷な場面もあります。しかし、それが「日常的に」起きているように錯覚させる発信には、明確な問題があります。
なぜなら、すでに述べたように、1台あたりの平均出動数は1日4.4件であり、1件あたりの活動時間を1時間と仮定しても、活動時間は1日約4時間程度。残りの時間は出動待機か、出動のない日すらあるということになります。
さらに、ここで注目すべきは人件費です。消防職員1人あたりにかかる年間の人件費は、給与だけでなく年金や退職金、装備費なども含めて約900万円/年と推定されます。つまり、出動件数ゼロの日であっても、そのコストは1人あたり1日約24,600円(900万円 ÷ 365日)かかっているという計算になります。
これが18台分、隊員が3人1組で動いているとすれば、少なくとも常時54人分の人件費が毎日投入されているわけです。そして、その中には出動ゼロ日もある。年に3日近く、救急車が一度も動かない日があるという事実は、この人件費が「何に使われているのか」を市民に問いかけるべき材料です。
「戻れない日」を取り上げて感情を誘う発信の危うさ
10件以上の日はもっと多い!とかいう的外れな発言をしてくると思うので、簡単にあしらっておきましょう。
先の計算は、正規分布を仮定した場合に計算した確率です。ここで、仮に、1年のうちに10件以上出動した日が6日間るような分布を仮定して計算してみましょう。
この場合、出動件数がゼロであった日が約4.5日あるという逆説的な結論になります。
極端な多忙日をことさらに取り上げて発信し、全体の実情を覆い隠す姿勢は、公共機関としての誠実性に欠けます。
このような広報姿勢が広がる背景には、「市民に努力をアピールしなければ理解が得られない」という組織内の焦燥感や、マスコミ的なドラマ性を好む風潮があるのかもしれません。しかし、そうであればあるほど、事実と印象のギャップには慎重であるべきです。
現場の声として「休憩が取れない」「食事を取る時間がない」といった話を広げるなら、平均出動件数4.4件/日という事実も併せて発信すべきです。
そこにこそ、誠実な情報公開と説明責任があるはずです。
「働いている感」と「実効性のない業務負荷アピール」
消防行政の中には、「働いているように見せること」にリソースを割いているケースも散見されます。
過去には「コンビニで休憩していた」といった市民からの批判に対し、広報動画で「これは休憩ではなく出動の一環」と説明するケースも見られました。今回の「病院で休憩」も、その文脈に位置づけられるかもしれません。
確かに誤解を防ぐという目的は理解できますが、裏返せば、「休憩も許されないと市民に思われている」ことを前提に動いているということになります。これは極めて歪な状況であり、根本には、消防という組織が自らの労働環境や業務実態を、正確に説明してこなかった問題があるのではないでしょうか。
情報発信において、実態以上に「大変さ」や「献身性」を強調する手法が常態化すれば、そこに冷静な議論は生まれません。むしろ、直感や感情で物事を判断し、数学的・論理的に考える力を持たない層に過剰な印象を与えるリスクが高まります。
市民が問うべき「説明責任」と「数字の整合性」
本記事で指摘したとおり、長崎市消防局のように「1年に1日あるかないかの稀なケース」をもとに感情訴求を行う手法には問題があります。市民は、もっと数字を見て、論理的に考えるべきです。
救急車1台あたり1日4.4件の出動。年に数日はゼロ件。そこにかかる1人あたり年間900万円の人件費。これらを総合して、市民は本当に「常に命を削って働いている」姿を描いて良いのか、今一度問い直す必要があるのではないでしょうか。