消防組織に巣食う閉鎖性と無責任体質──パワハラ問題の本質を問う

北海道東北地方
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表面的なパワハラ認定では見えてこないもの

山形県新庄市など県北部8市町村を管轄する最上広域市町村圏事務組合消防本部において、消防職員1人が年配の先輩職員2人からパワーハラスメントを受けていたとする報告書が公表された。弁護士3名からなる第三者委員会は、食堂の外まで聞こえる大声での叱責、多数の職員の前での執拗な注意など、4件の行為を「パワハラ」と認定した。

一方で、内部の苦情処理委員会は当初「業務の適正範囲内であり懲戒処分の必要なし」と判断していた。ここに、消防組織特有の問題が端的に現れている。つまり、組織内部ではパワハラをパワハラと認められない体質が根付いているということだ。

だが、この問題は単なる「上司による叱責の強さ」の問題ではない。むしろ、さらに根深い、消防組織そのものの腐敗した文化が背景にあると考えるべきだろう。

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加害者が一方的に悪いとは言い切れない現実

果たして今回の加害者2名は、全面的に悪いと言えるのだろうか。火災現場で消防車両のポンプ操作を担当する隊員が、手順を一向に覚えられない。写真入りのマニュアルを用意しても覚えようとしない。「できないものはできない」と開き直る。

もちろん、今回の件がそうであったとか、個別の内容についての言及ではなく、消防のパワハラ事案一般についてである。

こういった態度の後輩がいたとすれば、先輩隊員たちは命がけで出動する立場として、熱のこもった指導をせざるを得ない。数日後には、その後輩とともに火災現場に向かうかもしれない。命を預け合わなければならない仲間が水も出せない。消火活動に支障をきたす。それは即ち、自分の死、住民の死を意味する。

丁寧な言葉で指導しようが、どれだけ繰り返そうが、改善しない。そんな状況で、熱を帯びた指導がエスカレートしたとして、一概に「パワハラ」と断じてよいのだろうか。現場の責任感に基づく必死の指導だった可能性は否定できない。

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能力不足の放置こそが組織の最大の罪

 繰り返し述べているとおり、消防職員がいかに能力が低いとはいえ、最低限求められる水準は存在する。だが、その水準を満たしていない者が一定数いるのが現実だ。現に、全国で相次ぐ性加害事件、飲酒運転、特殊詐欺への関与、薬物事件など、消防職員の不祥事は後を絶たない。これらは偶発的な出来事ではない。もともと組織が「不適格な人材」を見抜けずに採用し、適切な排除措置を取らず、延々と温存してきた結果に他ならない。

 こうした素行不良、能力不足の者に対して、丁寧な声かけや優しい指導で更生を促すことが本当に可能だろうか。明日には薬物に手を出すかもしれない。明日には性加害事件を起こすかもしれない。そのような対象に対して「理解を促す」ことなど、到底できるはずがない。もはやそれは、犬猫のしつけに近い次元の問題である。人間として基本的な責任感や倫理観を持たない者に、いくら「言葉」で訴えても無駄だという冷酷な現実が存在する。

 その現実を認めず、「一人ひとりを丁寧に育てましょう」などという幻想を振りかざす限り、組織は腐敗を止められない。無能を放置する組織に、健全な未来など存在しない。

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無能を切れない組織に未来はない

 そもそも、消防車のポンプ操作すらまともにできない職員を、なぜ現場に立たせるのか。なぜ適性を見極め、事務職や雑務へと配置転換しないのか。なぜ、明らかに最低水準を満たさない人材を分限免職にできないのか。

 答えは単純だ。面倒ごとを避けたいからだ。無能を排除するためには、エネルギーがいる。争いが起きる。反発もある。そこまでして「組織を健全に保とう」と考える消防幹部は、残念ながら絶滅危惧種と言っていい。もはや波風を立てず、既得権益だけを守ることが最優先されている。

 それらの面倒ごとのきっかけを作ったのが組織であるのなら、その面倒ごとに最後まで向かい合う義務がある。それから逃げることは、先にも述べたように、職員や住人を死に追いやる可能性が十二分にあるということを認識しなければならない。

 そして、この組織・人事の怠慢のツケを払わされるのは、現場で汗を流すまともな職員たちだ。彼らは無能な同僚の分まで働かされ、ストレスを抱え、時には命の危険すら冒すことになる。その犠牲を見て見ぬふりし続ける組織に、未来はない。

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パワハラ問題の裏にある「構造的腐敗」

 今回の一般論では、一見すると「個々の指導方法に問題があった」という話に見える。しかし本質はそこではない。問題の根源は、無能な職員を採用し、育成に失敗し、適切に排除もできず、組織内に放置し続けたという点にある。こうした無責任な文化が、今回のパワハラ問題を引き起こしたのだ。

 無能な職員は、定期的人事異動によって異動先でも問題を起こす。新たな上司が抱えきれず、ストレスを抱え、またパワハラに発展する。この無限ループが、腐敗した消防組織の中で延々と繰り返されている。

 さらに問題なのは、こうした現状に気づいていながら、誰も根本的な是正を試みないことだ。なぜなら、見て見ぬふりをする方が楽だからだ。波風を立てれば、自分の立場も危うくなる。だったら無能を放置し、表面上は問題がないように取り繕う。そうして組織全体が、少しずつ、しかし確実に腐っていく。

 今回の第三者委員会の報告が示したのは、単なる一件のパワハラ認定ではない。もっと深い、組織構造そのものの問題だ。これを見逃すなら、再発防止策など絵に描いた餅に過ぎない。

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まとめ:消防組織は表面的な再発防止策では何も変わらない

 最上広域市町村圏事務組合消防本部は、今後「苦情処理委員会に外部専門家を加える」と表明している。しかし、今回の件がここで書いた仮定、一般論と同様の事案であった場合、それで何が変わるのだろうか。無能を採用し、無能を放置し、現場に送り出してきた構造はそのままだ。問題の本質には何一つ手をつけようとしていない。

 そして、そうであった場合、この消防本部に限らず、すべての消防本部において同じ問題をはらんでいる。「ハラスメント防止研修」を何度実施しようが、「再発防止マニュアル」を作成しようが、意味はない。本当に必要なのは、”ゆるぎない事実として最低限の能力を満たしていない職員”を排除する制度改革だ。現場に立つ者は、ポンプ操作ができて当然。住民の命を救う覚悟があって当然。そんな当たり前の水準すら満たせない者が居座り続ける限り、組織に未来はない。

 消防組織は、長年「命を懸けて市民を守る」という美辞麗句を盾に批判をかわしてきた。しかし、もはやそれは幻想である。現場では無能が蔓延り、有能な者から離れていく。これが現在の消防組織の実態だ。

 今回のパワハラ問題は、単なる一件の不祥事ではない。腐った組織体質が生み出した必然の結果だ。この現実を直視できない限り、消防組織に明るい未来はない。

 少々混乱することがあるかと思うが、今回の最上広域市町村圏事務組合消防本部で認定されたパワハラが純粋悪によるものであるのか、無能の放置によるものなのかを決めつけるものではなく、消防におけるパワハラ事案は単純ではないという紹介であることを理解してほしい。