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【脱線しまくり】記録映像の一部を開示【静岡市消防局】

このページを書いているうちに、かなり話が脱線してしまい、非常に読みにくい記事になっていると思います。

2022年8月、消防隊員1人が殉職した静岡市葵区呉服町のビル火災をめぐり、初期消火に当たっていた店舗関係者がメディアに対し、初めて証言しました。「火災の火元を伝えたのに消火活動に活かされなかった」。この関係者と静岡市消防局とのやりとりを記録した映像は公開されず、「不都合な情報を隠している」と指摘する声もあります。2022年8月、消防隊員1人が殉職した静岡市葵区呉服町のビル火災で隊員がつけていたカメラの映像です。
<消防士>
「煙の色変わった?」
「ちょっと白っぽくなりました」
「了解」
この緊迫した消火活動の様子は、静岡市への情報公開請求によって開示されました。しかし、この映像には”肝心な記録”が抜け落ちているといいます。
「僕ははっきり自分が見た範囲で、『火元はここですよ』という説明は、見取り図で『ここが燃えていました』という話は(現場で)させてもらっている」
初めてインタビューに答えた火災の火元となった店舗で働いていたAさん。初期消火にもあたっていたAさんは「火元の場所を伝えたのに、それが生かされなかった」と当時の消防の対応を疑問視します。
<火元となった店で働いていたAさん>
「給湯室があって『一番熱の温度が高いんだけど、ここって何かありましたか』と聞かれたときに『火元はそこじゃないと思います、完全にこっちですね』と僕ははっきり指している」
火災現場の見取り図をみると、Aさんが消防の現場本部に伝えたビル火災の火元は、店舗奥の倉庫兼休憩室だったと話します。しかし、消防は、Aさんの情報とは異なる店舗入り口付近を火元と推定。先行部隊が給湯室など誤った場所の確認に時間を費やし、結果、火元の特定に1時間もかかったのです。現場の状況が変化する中、3番目の部隊が火元を特定。しかし、その部隊の男性隊員が何らかの理由で逃げ遅れ、死亡しました。
なぜ、火元の情報がありながら、別の場所から調査に入ったのか。静岡市消防局は事故調査委員会を設置し、経緯を検証していますが、協議はすべて非公開。火元を知らせたというAさんと消防とのやり取りは、個人情報の保護を理由に公開されていません。
<火元となった店で働いていたAさん>
「正直、僕としても納得いかない。間違っていることは間違っていることだし、しっかり正すという意味であれば(映像を)使っていただいて構わないし、逆に隠しているのであれば、見せていただいた方が解決するのであれば出していただいて構わない」
SBSでは、本人の許可をもとに、Aさんとのやりとりが記録された映像の公開を静岡市に求めました。しかし…
<静岡市消防局 警防課 坪井良正参事>
「誰がどういう理由であっても開示できないものは開示できない。映されている個人の許可を得ている場合についても同様に開示できない」
Q.判断のミスがあったと公表してもいいのでは?
「別区画から活動した理由についても事故調査委員会の回答を待っているので、差し控えます」
情報公開制度に詳しい専門家は、消防局の対応に疑問を呈します。
<情報公開制度に詳しい 同志社大学 小黒純教授>
「個人が特定できる可能性があるとして不開示の理由、要するに公開できない理由にするのはかなり無理がある。不都合な情報があって隠しているんじゃないかと感じてしまいます。感じること自体も市のやっていることとしてはあまりいいことじゃない。行政と市民との間の信頼関係が生まれない」
静岡市消防局をめぐっては、この1年間だけでも、患者搬送中の救急車があおり運転を受けていた事案や訓練中に落下した隊員が重傷を負った事故などを公にしてこなかった経緯があります。
静岡市消防局をめぐっては、この1年間だけでも、患者搬送中の救急車があおり運転を受けていた事案や訓練中に落下した隊員が重傷を負った事故などを公にしてこなかった経緯があります。
消防の広域化によって、現在、静岡県島田市を含む3市2町も管轄する静岡市消防局。2020年には、吉田町の工場火災で3人が殉職しましたが、そのうち2人は元々は島田消防署採用の隊員でした。消防局に対して、島田市の染谷市長は…。
<島田市 染谷絹代市長>
「(吉田町工場火災の)2人の遺族から『うちの夫は島田消防署勤務だったなら、こんな目にはあわなかった』と言われた時に、もう本当に守ってあげられなかったことに自らを責めたし、二度とこういうことは起こさないと。ところが、2年も経たずして、この8月に、また事故がありました」
(ビル火災で殉職した)男性隊員の奥さんは、2歳のお子さんとまだ6月に生まれたばかりの赤ちゃんを抱いての葬儀でした。ご遺族は何が一番してほしいかと言えば、真実を知りたいんです。なんで、私の夫は亡くならなければならなかったのかということです」
男性隊員はなぜ、亡くなったのか。火元の情報を提供したAさんは、消防が現場の状況を複合的に見て判断した可能性に理解を示しつつも、真実を明らかにしてほしいと願います。
<火元となった店で働いていたAさん>
「誰にでも間違いはあるので、それが組織だろうが、会社だろうが、人間だろうが、間違いは間違いなので、間違いを認めてもらって、しっかり今後、そういうことがないようにしてもらえれば、僕は何も望むことはないです」

引用元:SBSニュース

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状況の整理

  1. 関係者Aは「火元を伝えたのに消火活動に活かされなかった」と主張している。
  2. 関係者Aが主張する「火元を消防隊員に伝えた場面」については情報開示されていない。
  3. 火元の情報がありながら、別の場所から調査に入ったのか疑問である。
  4. 消防局本部職員「開示できないものは開示できない」
  5. 情報公開に詳しい大学教授「不開示は無理がある。行政と市民の間に信頼関係が生まれない」
  6. 遺族「なんで、亡くならなければならなかった真実を知りたい」
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1について

1、関係者Aは「火元を伝えたのに消火活動に活かされなかった」と主張している。

 これに関しては、仕方ない事かなと思ってしまいます。

 消防隊が火災現場に着くと、その瞬間から膨大な情報量が流れ込んできます。火災の状況ひとつにしても、そのものの燃え方についてや、風向き、人の密集ぐあい、周囲への延焼危険、逃げ遅れの状況、既に避難してきたひとの負傷状況等等、書き出すことが物理的に不可能なくらい膨大な情報を短時間で取捨選択していく必要があります。

 そして、得られる情報には確実に優先順位が存在します。

 逃げ遅れ情報が最優先であり、避難者の負傷状況、延焼や拡大危険がどの程度あるかについても非常に優先度が高くなります。

 そして、今回でいうところの火元の情報というのは、優先度が低くなることが多いです。

 火元情報の優先度が低くなることの理由を説明します。

 火元情報とは、どこから出火したかという情報であって、火災の超初期では有用な情報ではありますが、出火から6分、7分経つと広範囲に延焼範囲が拡大していき、出火元よりも可燃物や危険物が置いてある場所の情報の方が重要になってきます。

 例えば、戸建て住宅の台所の天ぷら油から出火した場合で、居住者が初期消火に失敗して避難した後に119番通報したとしましょう。初期消火に失敗している時点で、多くの場合、天ぷら油から上がる炎は天井に達している状況と言えるでしょう。そして、通報から7分後に消防隊が到着したとすれば、天井が炎に煽られ始めてから7分経過しているということになります。建具の防炎素材状況にもよりますが、2階まで炎が広がり、建物の様々な場所から大量の煙や炎が噴出している状況になっています。

 この時点で火元が台所というのは重要ではないことは理解できますでしょうか?

 この時点で重要なのは、逃げ遅れが居るのか否かや、灯油や大量の可燃物の保管はあったか、ガスの使用場所はどこか等の方が重要となります。

 消防隊が現場に到着した時点での火災の状況については分かりませんが、多くの場合、火元情報は緊急的に有効な情報ではありません。

 もちろん、防炎機能や防火性能の高い住宅であって、消防隊現場到着時に延焼状況が小規模の場合には火元情報は有力な情報となります。

 さらに言えば、事後に火災状況を書類に起こす際には、火元情報は非常に有効な情報となります。

 火元よりも、今後どのように火災が拡大していくのかという情報の方が大切ということですね。

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2、4、5について

2、関係者Aが主張する「火元を消防隊員に伝えた場面」については情報開示されていない。
4、消防局本部職員「開示できないものは開示できない」
5、情報公開に詳しい大学教授「不開示は無理がある。行政と市民の間に信頼関係が生まれない」

 火災現場での情報収集については、現場に居合わせた通報者や建物関係者等から聴取することとなりますが、火災現場という緊急性から、旧時代的な手続きにより情報を収集することとなります。

 一方で、公務上で入手する個人情報については、多くの場合書類上の手続きを踏んでいたり、個人についての特定について慎重になります。例えば、区役所や役場の窓口で住民票の写しを請求した場合、身分証明書の提示を求められるはずです。時間をかけて、適切に個人を特定して様々な情報を収集したり提供したりするわけです。

 火災現場における情報の収集は消防法に定められている行為であるとはいえ、現場に居合わせた人から主体的に情報が提供された場合については、その範疇にあるのか微妙な取り扱いになると言えるでしょう。

 その際に、個人を特定して誰からどういった情報が提供されたのかを逐一整理することはありませんね。

 つまり、火災現場において「火元を伝えた人物」と関係者Aが同一人物であるという確実な証拠が存在しないとも言えてしまうのです。

 火元を伝えた時点で身分証を提示して、何かしらの書類にサインしたりしたのかとか、情報提供後も火災の鎮火まで消防隊と活動を共にして、最終的に個人情報の提供をしたとかいうことであれば、提供ではなく提示という形で映像を見ることは可能かもしれませんが・・。

 見る限り映像の画質も悪いので、情報提供後に一度でも消防隊の管理下から外れていたならば、同一人物か否かの確認が取れないため、提示すら難しいかも知れません。

 少々視点を変えると、殺人事件の現場の映像の提供を求めるでしょうか?

 怨恨か何かで親族が殺害された場合に、殺害現場の状況を撮影したデータが情報開示されることがあるでしょうか?

 火災現場というものも、それに近いものがあるのかなと思います。

 

 消防本部の担当者から「開示できないものは開示できない」という発言についても、まったく理解できないものではないと思ってしまいます。

 私自身、消防本部の事務方で働いていた最中に情報開示請求なども受けましたが、法令で定められている以上、提供できない情報というものは存在します。

 そして、その法令(法律・条令など)については、国会や議会の承認を得て制定されているものであり、ひとりの職員の勝手な判断や裁量で破ることはできません。

 もちろん、開示請求をしてきた人の立場に立って考えれば、もっと多くの情報を提供してあげたいと思うことは多々ありましたが、現実的には不可能です。

 やはりそういった決定事項を変えるためには、それ相応の手続きが必要となります。最も手っ取り早いのは、市町村長などの首長が、政治家としての責任のもと、法令の定めを逸脱して個人情報を漏らすってことですね。これであれば、後付けでどうにでも処理すること出来ているというのが現状です。

 実際、某知事がそんな発言を繰り返して民意を味方に付けて選挙を勝っていたりもしますから。

 情報公開に詳しい大学教授の発言はちょっと理解できないですね。

 法治国家であり、行政職員は法令に基づいた業務を実施しますので、その法令自体に問題があるのであって、不開示に無理があるというのは、法令が異常だという発言なのか、担当者が異常だということなのか分かりかねます。

 信頼関係というものは、ルールの上に成り立つものであると考えますので、この場合で言うのであれば、状況に応じてルールを変更することの出来る行政機関が信頼に値するのかな?と思います。ルールを破って個人情報を開示するのは信頼関係を崩す以外にない気がします。

 そもそも、ルールに則って情報開示していないという立場で話をしていますが、ルールを守っていないというのであれば、話は変わってきます。

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3について

火元の情報がありながら、別の場所から調査に入ったのか疑問である。

 1についてと重なる部分が多くなりますが、火元の情報とは別の場所から調査を開始することは十分にあり得ることだと思います。

 例えば、一軒家が炎上中であり周囲の建物に延焼危険があった場合で、新築の住宅と老人ホームが隣接していた場合、火元である一軒家の消火よりも、老人ホームに燃え移らないことを優先して活動します。その結果、新築の住宅に燃え移るようなことがあったとしても、優先するのは老人ホームへの延焼を阻止することです。

 消防は財産よりも人命に重きを置いています。そして、人命については優先順位を設けていません。老人ホームに燃え移ったならば、避難の支援のために大量の消防隊員が従事する必要がでてきますが、燃え移らないようにする活動であれば極少数の消防隊員だけで対応が可能です。

 現在燃えている場所や最初に燃えた場所よりも、次に燃え移ったら危険になる場所についての確認が非常に重要なのです。

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6について

遺族「なんで、亡くならなければならなかった真実を知りたい」

 上記の1~5とは切り離して考えなければならないことかなとも思います。

 そもそも捜査権を有しない一般人が通常通り付与されている権限の範囲内で情報公開請求のみで真実を明らかにすることは不可能ですね。裁判等の場において、行政側に情報を開示する義務が発生しない限り無理でしょうね。情報開示請求により得られる情報は氷山の一角です。これらを切っ掛けにして殉職の事実を追及していくことは不可能でしょう。

 消防の殉職というのは、勇敢な消防士が不幸にも亡くなってしまった不慮の事故ではありません。

 

 一般の人からすれば、火災という災害は非常に恐ろしいものと感じるかもしれませんが、あくまでも物理現象・化学的な現象です。科学と反した状況は絶対に発生しません。急に炎が竜の形をして消防隊員を襲ってくることも無ければ、まったく火の手が無かった部屋の全体が急に燃え始めることもありません。

 火災の状況を観察すれば、次に発生する状況がある程度分かるわけです。煙や炎の噴出状況を見て、次に延焼が広がる可能性の高い方向は分かるし、今後さらに拡大傾向にある火災なのか、最盛期を過ぎて縮小傾向にある火災なのかが分かるのです。

 かなり話が冗長になってしまいましたが、殉職するような状況は必ず予測できるということです。つまり、殉職する程の危険な状況はほぼ確実に避けることができるということです。

 それでも尚殉職が発生してしまったのは、殉職する可能性を許容して活動していたということですね。

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消防職員が殉職を許容した活動する理由

 殉職する可能性を許容して活動していたということについて解説します。

 自らの命を犠牲にしてでも消火活動に従事したとかいう美談ではありません。

 先にも記載しましたが、火災現場において次に発生する危険性な場所とかはある程度分かるわけです。そして、消防士というものは、その場に発生するであろう危険性と、その危険性を背負ってまでも得られる何かがあるかを天秤にかけて活動するのです。

 有名なものとして、新潟中越地震で発生した、土砂崩れに巻き込まれた車内に閉じ込められた子供を東京消防庁の職員が救助した事案です。

 土砂の隙間から車内の様子を確認することができた上で、車内に子供が生存状態でいることも確認できたのです。余震が続く中、土砂に埋もれた車内に進入すれば、更なる土砂に巻き込まれて、高確率で殉職することとなります。もっと言えば、車内に進入する際に足をかけた土砂が崩れる可能性だってあります。一部の土砂が崩れたことを切っ掛けに、大きな土砂崩れが発生する可能性だってあるわけです。そういったリスク・危険性と、そのリスクを負った先にある子供の命というものを天秤にかけたわけです。

 結果的には、万が一どころか、千が一、百が一、十が一くらいの可能性で命を落とす殉職可能性があったにも関わらず、そのリスクを負って、子供の救助を選択したわけです。

 話を今回の件に戻しましょう。

 果たして、静岡消防の消防隊員は、殉職というリスクを背負ってまで何を得たかったのでしょうか?

 まず考えられるのは人命です。しかし、報道の状況を見る限り、災害現場に逃げ遅れ等は居なかったようですし、少なくとも、殉職の可能性を負ってまで得たかったものは人命ではなかったようです。

 二つ目に考えられるのは更なる延焼拡大危険です。これについては、報道の内容を見る限りではなかなか判断出来ませんが、延焼拡大危険がある場合には建物の外側からや未延焼エリアからの火災防御が基本であるため、このリスクを負った行動とは考えにくいですね。

 この静岡の消防隊員たちが殉職という危険を負ってまで得たかった価値とは何だったのかについて、元消防職員で多数の火災現場にも赴きましたし、多数の情報公開請求にも対応してき一人として思うことは、経験・武勇伝・周囲の職員からの評価・出世・昇給です。

 

 

 消防士が出世するために必要なものをリストアップしてみましょう。

  1. 絶対的な知能・能力
  2. 経験・武勇伝
  3. 他の職員からの評価

それでは順番に見ていきましょう。

 絶対的な知能・能力を持ち合わせている人はほぼ居ません。ゼロと言っても過言では無い程に居ません。少なくとも殉職者・公務災害死亡者を出したにも関わらず大幅な経営幹部等の刷新や現場管理者の管理職などの処分が行われない消防本部には、知能を有する人は居ないでしょう。

 次に経験・武勇伝です。消防という職業柄、自治会や企業などの防火防災イベントでの公演を公務として依頼されることが多々あります。そんな時に、「私はこんな危険な体験をしました」とか「この現場で九死に一生を得ました」という具合に、自慢をするのが大好きです。それは個人としてだけでなく、組織として自慢することが好きなんです。うちの消防本部にはこんな危険な現場から生還した職員がいるとかいう具合に。
 そして、こういった経験・武勇伝を有する職員が消防本部で重宝がられて、出世に繋がっていくわけです。
 このロジックから、不必要なリスクを負うことが横行していき、経験や武勇伝を率先して取りに行く職員が増加するのです。チキンレースみたいなものです。(最近話題になっている回転寿司での不適切な行動がSNSで晒されるのに似ていますね。)
 となると、管轄外で大規模地震なんかが起こった際には、消防本部は大フィーバーです。災害地域外から多くの消防職員が派遣されることになりますが、ほぼ全ての消防職員は、人命救助の目的のために災害現場に赴くのではなく、上記の経験と武勇伝を獲得しに行くのです。
 本当に人命救助が目的なのであれば、非番や週休日、有給を活用して災害現場に赴き、様々なボランティアを含む活動が可能となるはずですが、これを実施する人は極極少数であることからも、人命救助よりも武勇伝を獲得するという意識が高いのも分かると思います。

 最後に他の職員からの評価を得ることも消防職員の出世に欠かせない要素です。一般的な集団における評価となれば、人望であったり信頼できるか否か等が重要な要素となるのですが、消防という集団においては大きく異なります。
 ずばり、消防という集団における評価に繋がる要素は、上記の経験や武勇伝です。これらは、絶対に否定することができないため、評価に繋がることになります。
 動機はどうあれ、結果的に災害被害の軽減のために動いた事実は変わらないため、それらを否定することは、消防そのものを否定することになるため、否定することができないのです。

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殉職を出した消防本部を安易に許してはいけない

 論点がだいぶズレてしまったため話を戻します。

 災害現場における危険要素の殆どは把握することができて、その危険をどの程度許容するのかが消防活動となります。

 災害現場で活動する消防隊員が、受傷や殉職の危険に晒されることが無いように、できる限り安全を確保しながら消火活動を進めていくわけです。

 そう考えると、地雷除去作業に似ているかもしれません。そもそも活動自体が危険であることは言うまでも無いが、少しずつ安全であるエリアを拡大しながら、除去作業を進めていくという点は、火災による危険を手前から排除しながら中枢に迫っていくという消火活動に似ている気がします。

 そもそも危険要素を把握する能力が無いのであれば、それは消防職員としての資質を欠いている。具体的な資格があるわけではないが、無免許運転みたいなものです。

 そして、危険を許容する程の活動をする必然性があったかについても疑問です。もし仮に、上記のような危機管理能力があったのであれば、消防局の決定として殉職を許容した活動を現場の消防職員が実施したということになります。

 危険を許容するためには、必然性が必要です。高い確率で人命救助ができるとか、より危険な場所への延焼を阻止することができるとか、そういった必然性です。後者の延焼阻止の場合、延焼した場合に人命が脅かされるとかいった事象が発生するという可能性も必要でしょう。

 そして、殉職という危険を許容する現場の状況などというのは、99.9%存在しません。残りの0.1%に該当するのは、まさに先に記載した新潟中越地震の子どもを救出した事案くらい特殊なものです。

 少なくとも今回のケースは、人命救助が目的で無い以上、残りの0.1%に該当する活動ではなかったものと思います。

 そもそも必要のない活動を実施して、殉職の可能性を許容した。(そのタイミングでその場所まで進入する必要がなかった。排煙や排熱、部分消火等の活動を進めて、安全エリアを確保してから進入するべき。)

 いずれにしても、殉職者を出した以上、業務上過失致死の適応を前提として、積極的な警察等の捜査機関が介入して、真実を明らかにして欲しいものです。

 どんな理由であっても殉職したことを理解できることは無いとは思いますが、消防本部側に少しでも責任があるのであれば、罪を認めて償うべきでしょう。

 そもそも、従業員を死亡させないように従事させる義務が組織には存在します。

 本当に読みずらい記事になってしまいましたので、整理して書き直すかもしれません。

 

  

 

 

 

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