1|事件の概要:虚偽報告と“なかったこと”にされた罪
2024年12月、秋田県内で起きたある消防職員の不祥事が、今になって明るみに出た。対象となったのは、当時26歳の消防職員。
報道によると、この職員は昨年6月に過労運転をしたとして、道交法違反の罪で略式起訴され罰金の略式命令を受けていたにもかかわらず、この事実を所属する消防本部に報告していなかった。実際には報告すべき内容であることを理解していたにもかかわらず、事実を隠していたことが内部調査で発覚した。
報道によれば、消防本部はこの行為を「組織の信頼を著しく損なう行為」と認定し、2025年5月27日付で懲戒免職処分とした。
この件について、消防幹部は「市民の信頼を裏切る結果となったことを重く受け止めている」などとコメントを出しているようだが、もはやその言葉に“慣れ”を感じる人も多いだろう。なぜなら、この種の謝罪会見や処分発表は、年に何度も繰り返されているからだ。
2|「またか」と思わせる消防不祥事の連続性
消防職員による不祥事は、もはや“異常事態”ではなく“日常の一部”になってしまっている。今回のような交通違反や虚偽申告に限らず、ここ数年で発生した事件には、
- 勤務中の飲酒
- 公務用備品の私的流用
- セクハラ・パワハラ行為
- SNSでの不適切投稿
- 勤務態度の不良、無断欠勤
といった内容が並び、いずれも新聞・ネットニュースを賑わせてきた。
本来であれば、“最も倫理的に厳格であるべき職業”のひとつであるはずの消防職員。
にもかかわらず、不祥事があまりにも多発している。特に地方都市では、こうした事案が全国的に報じられることで、「あの地域の消防も問題を起こした」という印象が残りやすい。
今回の事件が、いわゆる“市民生活に直接被害を与えた”種類のものではないにせよ、「虚偽の申告をする職員がそのまま現場で活動を続けていた」という事実そのものが、市民の不安を招くには十分すぎる。
3|虚偽報告より重い「隠ぺい体質」への疑念
今回の問題で特に注目すべきは、違反行為そのもの以上に、“報告しなかった”という行動である。
本件において、消防職員が起訴され罰金刑を受けた事実は、個人としての責任を問われる当然の結果だ。
だが、それを所属組織に報告せず、あわよくば“なかったこと”として日常業務に戻ろうとしたその姿勢こそが、重大な問題である。
消防という組織は、強い上下関係と縦割り構造を持つ。内部で「隠したほうが得」「報告したら出世に響く」といった空気がまかり通るようであれば、これは個人の問題にとどまらず、組織の空気がそれを許容していることになる。
今回、表面上は「本人が報告しなかった」とされているが、
本当にその1点だけが問題なのか?
誰かが薄々気づいていながら、見て見ぬふりをしていたのではないか?
日頃の管理体制に穴があったのではないか?
そうした組織の“目の甘さ”こそが、より深いレベルで問われるべきだ。
4|懲戒免職で終わらせていいのか?
報道では、消防本部が「懲戒免職」という厳しい処分を下したことが強調されている。
もちろん、処分自体は妥当だし、それに異を唱える余地はない。
しかしながら、懲戒免職が発表されるたびに思うのは、「また処分しただけで終わりか」という徒労感だ。もちろん、その対象職員にもっと重い処分を!制裁を!とかいう、頭の悪いSNS民みたいなことを言うつもりは一切ない。対象は本部そのものである。
処分されて終わり、処分しておわり、謝罪会見を開いて終わり、幹部が「再発防止に努めます」と形だけ述べて終わり。
このループが、いつまで続くのだろうか。
本来、処分は「終わり」ではなく「始まり」であるべきだ。
だが、現実の消防組織では、処分が終われば“問題は解決済み”という扱いになり、次の問題が発生するまでの“待機期間”に入ってしまう。
結果、不祥事は忘れられ、
次に別の問題が起きたとき、「また新しい件」として処理される──
この連続が「また消防職員か」と言われる背景を作ってしまっている。
しかし、この「はじまり」において、何を始めるべきなのかを理解できないために、こういったことが繰り返されるのだとしたら、果たして、消防本部は何から始めればいいのかと頭を悩ましてしまう。みたいなこともあればいいが、それすらもないのが消防本部である。