道頓堀火災の殉職事故を受けて、消防学校の授業案

大阪市 地域別
大阪市
スポンサーリンク
スポンサーリンク

1時間目 進入の判断について

先生
先生

今日は、2025年に大阪で起きた火災について討論します。
あの火災では屋内進入した消防士2名が犠牲になりました。
あのときの進入判断は正しかったのか、それとも誤っていたのか。
正解は一つではありません。
まずは自由に意見を出してみましょう。

学生A
学生A

僕は、進入はやむを得なかったと思います。
もし中に逃げ遅れがいたら、外から放水するだけでは助けられません。
入口までは行けたわけですから、『とにかく行ってみよう』という気持ちは理解できます。

学生B
学生B

でも、結果的に殉職者が出ています。
これはやっぱり『判断を間違えた』と考えざるを得ないんじゃないでしょうか。
入口は安全でも、3メートル先がどうなっているかなんて誰にも分かりません。
そういう危険を前にしては、進入を控えるべきだったと思います。

学生A
学生A

でも、進入しなければ『なぜ助けに行かなかった!』と市民から批判されるかもしれません。
そういう重圧を考えると、突入を選んだ隊員の気持ちも分かります。

学生B
学生B

確かに市民からの目はあります。
でも、市民がどう言うかより、まず大事なのは自分たちの命を守ることじゃないでしょうか。
『消防士は助けに行くのが当たり前だ』と期待されても、それで殉職者が出たら何の意味もありません。
助けに行くどころか、自分たちも犠牲になってしまうんですから。

学生A
学生A

うーん…でも、それじゃあ逃げ遅れた人が本当にいたら、どうするんですか?

学生B
学生B

だからこそ難しいんです。
僕は、進入しないことも“勇気”だと思います。
突っ込むのが勇気、というだけじゃなく、
『ここで行ったら仲間を失うかもしれない』と
冷静に判断して止まるのも勇気だと思うんです。

先生
先生

いい議論になっていますね。
A君のように『市民を救いたい』という気持ちは消防士にとってとても大切です。
一方でB君が言うように『犠牲を出さない判断』もまた、
消防士に求められる冷静さです。
どちらが正しい、どちらが間違いという単純な話ではありません。

学生A
学生A

先生、それじゃあ今回の大阪の火災はどうすればよかったんですか?

先生
先生

そこが難しいところです。
入口の状況を見れば、突入できると判断したのも理解できます。
しかし、実際には中は想像以上に危険で、殉職という結果になってしまった。
つまり判断は誤っていたと言わざるを得ないでしょう。
でも、それをもって隊員たちを責めることはできません。
大事なのは、今回の経験を次に活かすことです。

学生B
学生B

次に活かす、というのは?

先生
先生

例えば、
進入口が良好でも、その奥はまったく予測できないという事実を、
私たち消防士全員が強く意識することです。
進入していいかどうかを決めるときは、入口だけではなく、
その先で最悪の事態が起きる可能性を必ず考える。
絶対に殉職者を出さないという前提で判断する。
それが教訓です。

学生A
学生A

じゃあ…今回のように進入するか迷ったら、外からの活動を優先すべき、ということですか?

先生
先生

必ずしもそうとは限りません。
ただ、迷ったときには助けたい気持ちより仲間を失わない判断を優先すべきだ、
ということです。
進入して犠牲者が出れば、その時点で判断は失敗だったと後から見なされます。
だからこそ、突入する勇気と同じくらい突入しない勇気を持つことが求められるのです。

学生B
学生B

なるほど…。結局、勇気には2種類あるんですね。

先生
先生

その通り。突っ込む勇気と、止まる勇気。
どちらも消防士に必要です。
そして最も重要なのは、仲間の命を守ること。
それを優先して決断できるのが、本当のプロです。

スポンサーリンク

2時間目 現場指揮者として

先生
先生

さて、さっきまでの議論で進入すべきか否かという現場の迷いを整理できましたね。
では次の問いに移りましょう。
君たちが現場の指揮官だったら、進入命令を出せるかどうか
――ここを考えてほしいのです。

学生A
学生A

……自分が入るかどうかならまだしも、
部下に命じるとなると、急に重みが違います。
自分の判断で仲間が死ぬかもしれない。
それを背負える自信は正直ありません。

先生
先生

なるほど。A君は命令の重さに着目しましたね。
他にどう思いますか?

学生B
学生B

僕は、市民が中に残されていた可能性を考えると、
命令を出さないことも怖いです。
助けられるのに助けなかったとすれば、責任を問われるのは自分。
後でなぜ行かせなかったと自分を責めるかもしれないし、
周囲から追及されるのは目に見えています。

先生
先生

つまり、
行かせれば部下を失うかもしれない、
行かせなければ市民を失うかもしれない
どちらを選んでも後悔する可能性がある、と。

学生A
学生A

……そう考えると、指揮官って本当に孤独ですね。

先生
先生

その孤独に耐えられるかどうかが、指揮官の資質とも言えます。
では質問を変えましょう。
君たちがもし命令を出す立場にあったとき、その判断をどうやって下しますか?
何を基準にしますか?

学生B
学生B

基準……。
入口の炎や煙の状況を見て、これなら進入しても大丈夫だろうと確信できれば命じられるかもしれません。
でも、それってあくまで推測でしかないですよね。
中がどうなっているかは分からない。

学生A
学生A

僕は、確率的に考えるかもしれません。
助けられる可能性と、部下を失うリスク。
そのどちらが大きいか。
でも、数字じゃ測れない部分が多すぎて……。

先生
先生

良いですね。推測と確率、この二つのワードが出ました。
じゃあさらに問います。
もし部下に『隊長、本当に行くんですか?』と問われたとき、
君たちはどう答えますか? 『
なんとなく行ける気がする』で通用しますか?

学生A
学生A

……。

学生B
学生B

……。

先生
先生

指揮官に求められるのは、自分の判断を言葉で説明できることです。
なぜ行くのか、
なぜ行かないのか。
説明できなければ、命令に従う部下は納得しません。
逆に説明があれば、たとえ結果が悪くても部下は理解しやすい。

学生B
学生B

でも、説明できるほどの根拠って、
火災現場ではなかなか持てないんじゃないですか?

先生
先生

そうです。
だからこそ訓練がある。
普段からどんな条件なら進入を認められるかを自分なりに整理しておく。
例えば
視界がどの程度確保できているか
退避経路があるか
火源の位置をある程度把握できているか
建物内の図面はある把握できているか
要救助者の位置の予想はできているか

こうした条件を自分の中に持っていなければ、現場では判断できません。

学生A
学生A

つまり、指揮官には即興の勇気ではなく準備された基準が必要なんですね。

先生
先生

その通り。
全ての条件を満たすような安全な現場は多くありませんので、
総合的にという判断になりますが、これだから大丈夫!これだからダメ!
という判断は必要です。

そして最後にもう一つ。
指揮官が絶対に忘れてはならない責任があります。何でしょう?

学生B
学生B

……部下の命を守ること?

先生
先生

そう。
市民を救うことと同じくらい、
いや場合によってはそれ以上に重いのが、部下を生きて帰すことです。
市民の救助に失敗すれば結果的に助けられなかったと記録されます。
しかし殉職者が出れば今後活躍するべきだった消防力を失うことになる。
その違いは決して小さくありません。
だからこそ、指揮官は行けるかどうかだけでなく、
行かせるに足る根拠を示せるかどうかを常に自問しなければならないのです。

学生A
学生A

……難しいですね。
勇気じゃなくて、説明できる判断。
今の僕には到底できそうにないです。

先生
先生

できなくて当然です。
だから今、こうして議論している。
答えをすぐに出せる人間はいません。
大切なのは、部下の命を預かる覚悟とは何かを考え続けることです。
現場に出る前に、頭の中で何度もシミュレーションしておくこと。
それが、君たちが将来本当の指揮を執るときの力になります。

スポンサーリンク

3時間目 進入隊として

先生
先生

次のテーマは命令に従うかだ。
君たちが現場で『進入せよ』と言われたその瞬間を考えます。
理屈ではなく、自分の心の中の声に正直になって話してみよう。

学生A
学生A

正直にいうと、怖いです。
今までは、行けと言われたら行くのが消防士だと思ってきました。
でも今は、頭のどこかで本当に入って大丈夫か?って声が聞こえます

学生B
学生B

僕も同じです。
助けたい気持ち生きて帰りたい気持ちがぶつかります。
『命令だから』で身体が前に出そうになる。
でも、煙の熱気を感じると、足は止まると思います

先生
先生

いい。
では、その止まった足に名前をつけよう。
躊躇ではない。
安全確認だ。
では、足が止まったとき、君たちは何をする?

学生A
学生A

10秒でいいから確認します。
面体のくもり、視界、熱、天井の落下の音。
ホースの曲がりも。
10秒でいける状態かを自分の言葉にします。

学生B
学生B

その上で、言葉にして指揮官に返す
『視界ゼロ、熱が強い。今は入れません。』
みたいに、短くはっきり言います

先生
先生

よし。
ここで三つの選択肢を並べよう。

1 すぐ入る。
2 小さく入って様子を見る(1~2メートル、退路確保、熱感知の確認つき)
3 今は入らない(外から制圧・換気・情報取り直し)

それぞれ良い点・悪い点は?

学生A
学生A

1 救助が早い可能性。でも急変で退路を失う危険があります。
2 情報が増える。でも長居は危険です
3 隊の安全が高い。でも中に人がいたら助けられないかもしれない

学生B
学生B

だから、その場で決める材料がいると思います。
熱、煙の流れ、退路、連絡、時間。
材料がそろわないときは、2か3を選ぶ勇気が必要だと思います

先生
先生

その勇気は臆病ではない。
判断だ。
では、命令に従えないとき、指揮官に対してなんと言う?

学生A
学生A

『入れません』だけでなく、理由と代わりの提案をセットで言います。
『視界ゼロ・熱強い・天井音あり。進入不可。30秒後に再確認します』
みたいな感じで。

先生
先生

悪くないだろう。
従うか否か白黒ではない。
安全確認→短い報告→提案
この手順が迷いを減らす鍵だ

先生
先生

ここからは指揮官は一人ではないという話をしよう。
まず確認だ。
さっきまでの進入隊として指揮官の命令に従うかの議論で、
君たちは誰の命令を思い浮かべていた?

学生A
学生A

……言われてみれば、
状況が見渡せる指揮本部で全体を見ている人をイメージしていました。
いわゆる俯瞰で指揮する人です

学生B
学生B

僕も同じです。
全体の方針を出す指揮官の『進入せよ』を前提に話していました

先生
先生

その気づきが大事だ。
現場には少なくとも二つの指揮が同時に走っている。
ひとつは俯瞰的指揮、もうひとつは局面の指揮
言い換えると、全体を見る人と、その場を安全にさばく人だ。

学生A
学生A

同じ『進入せよ』でも、誰が言ったかで意味が変わる、ということですね

先生
先生

そういうことだ。
まずは俯瞰的指揮からの命令を受けた場合を考えよう。
俯瞰的指揮官は部隊の配置・消火戦術・優先順位を決める。
けれど、入口の熱煙の濃さ天井の落下音は肌で感じていない。
だから隊員の短い事実報告と提案が効くということ。

学生B
学生B

西側入口、視界三十センチ、熱が強い、天井から落下音あり、今は進入不可。
60秒後に再判断を提案する――こう返す、ですね

先生
先生

いいだろう。
事実→提案→時刻の順に言う。
俯瞰的指揮官はそれを受けて方針を更新できる。
止める、部隊を回す、状況変化を待つ。
そこがあって、安全側に振れるわけだ

学生A
学生A

では局面指揮からの命令はどう考えますか? 
入口に一緒に立っている人から『行け』と言われたときです。

先生
先生

局面の指揮官はその場所の安全権限を持つ。
だからこそ、黙って突っ込むのではなく、小さく安全に運ぶ合意をその場で取る。
いわば小さな契約

学生B
学生B

小さな契約……?
たとえばどんなことですか?

先生
先生

5メートル前進、十秒で判断、戻れ合図で即撤退、退路は右壁沿い
このように、進入幅・進入時間・戻り方を先に決める。
長居しない。合図を決める。退路を言葉にする。
こういったことを具体的に言葉にしておくことだ。

学生A
学生A

もし進んでみて、さらに危険と感じたら?

先生
先生

当然、即退却だ。
局面の指揮官には撤退を命じる責任もある。
一方で、進入した隊員は感じた危険を言葉にして返す責任がある。
『熱上昇、視界ゼロ、退路に落下物。いったん撤退を要請』――短くでいい。

学生B
学生B

分かりました。
ところで、俯瞰的指揮官の命令局面的指揮官の判断食い違うこともありますよね? 
俯瞰的指揮本部は『進入継続』、局面の指揮官は『一時中止』みたいな。

先生
先生

そのときは局面の安全判断を優先する。
俯瞰は全体を守る役割
局面はいまこの場所の命を守る役割。まず命を守る。
俯瞰は一時停止し、局面の情報で方針を更新する。
これが二段階の安全弁

学生A
学生A

逆に、局面が『行ける』と言っても、自分は退路が不安に感じたら?

先生
先生

極小進入→即評価→即退却縮める
そして違和感を言語化する。
『ホース屈曲のため撤退に不安。まず屈曲解消、その後に小進入を提案』
――こう返す。

学生B
学生B

結局、現場でまずやるべきは、命令の発信源の確認ですね。

先生
先生

その通りだ。
最初のひと言で事故の半分は防げる。
『こちら西側。進入命令の発信源は俯瞰指揮か局面指揮か? 現状、視界ゼロ、熱上昇、大きな崩落音あり。進入の一時見合わせ提案、三十秒後に再判断します』
この順番で言うと、相手も整理できると思うぞ。

学生A
学生A

誰の命令か→今の状況→代案と再判断時刻。
順番が思考を落ち着かせる、ですね

先生
先生

そうだ。
命令は生きて戻る前提で運ぶものだ。
俯瞰的指揮官には事実と提案で更新を促す
局面の指揮官とは小さな契約で安全に運ぶ
食い違いは局面を優先して俯瞰が一時停止→更新
そして、どの場合でも最初に発信源を確認する。

学生B
学生B

前半の議論、僕たちは無意識に俯瞰の指揮官だけを想定していました。
だから『止まって報告しよう』が自然に出てきたんだと思います。

学生A
学生A

はい私もです。
局面の指揮官の『行け』は重さが違う。
だからこそ小さな契約で幅と時間を決めて、安全に運ぶ。
――ここを忘れないようにします

先生
先生

それでいい。
逆に言えば、局面の指揮官がいないのであれば、進入の判断も撤退の判断もすることができないってことだな。
今日の合言葉は三つだ。
『誰の命令か?』
『事実→提案→時刻』
『小さな契約』
この三つを口にできれば、命令を安全に運べる
君たちも、市民も、生き残る確率が上がる
いずれ、立派な消防士になれるだろう。