1. 呉市で発生した停電と119番指令の一時停止
2025年5月31日午後1時15分頃、広島県呉市西中央や吉浦地区などで約1,900戸が停電する事態が発生しました。この停電は約2時間50分続き、その間、呉市消防局の通信指令センターが機能停止し、119番通報を受け付けることができなくなりました。この情報は中国新聞デジタルにより報じられました。
消防局によると、停電中に非常用電源が自動で立ち上がらず、通信指令センターのシステムがダウンしたとのことです。この間、119番通報が繋がらない状態が続き、市民の安全が脅かされる状況となりました。
2. 呉市消防局の119番通報件数と組織体制
呉市消防局の年報によると、直近1年間の119番通報件数は17,300件で、1日あたり約47件、平均して30分に1件の通報がある計算になります。いたずらや問い合わせを除くと、年間13,600件で、1日あたり約37件、平均40分に1件の通報があるとのことです。
警防課指令係が指令通信業務を担っており、警防課の総数が39人であることから、そのうち8~10人程度が交替で勤務していると推測されます。この人数は、多すぎず少なすぎずといったところでしょう。
3. 非常用電源装置の重要性と過去の事例
非常用電源装置は、災害時や停電時においても通信指令センターが機能を維持するために不可欠な設備です。しかし、今回の呉市の事例では、この非常用電源装置が正常に作動せず、119番通報が一時的に不通となる事態を招きました。
実は、つい先日、広島県安芸高田市でも同様の事案が発生しています。2025年5月19日、通信指令センターのシステムがダウンし、119番通報が8分間繋がらない状態となりました。この際も、非常用発電機が作動せず、通常の電力供給も遮断されたことが原因でした。
このように、非常用電源装置の不具合による通信指令センターの機能停止は、過去にも発生しており、消防組織全体での危機管理体制の見直しが求められています。
4. 消防の危機管理意識の欠如と全国的な連鎖
消防組織は、その職責として「非常時に最も頼れる存在」でなければなりません。特に119番指令というのは、災害・事故・急病といった「一刻を争う」通報を受け付ける生命線です。にもかかわらず、呉市で発生したこの通信指令システムのダウンは、あまりにお粗末であり、危機管理の欠如を露呈しています。
非常用電源は、その名のとおり「非常時」のために存在します。その非常を日常として向き合うのが消防職員であるべきであるはずでした。平和ボケというにはあまりに甘すぎる、消防本部の有様です。
その作動チェックを日常的に行っていなかったのか、あるいはメンテナンス記録も存在しなかったのか。今回のケースでは「自動で立ち上がらなかった」という一点に尽きるわけですが、だからこそ「自動が作動しない場合に備えた手動対応」が訓練されていなかった点が重大です。
全国どこでも同じような機材を用い、類似のシステムを使っているのが消防本部です。ということは、同様の危機が他地域でも容易に起こり得るということを意味します。実際に、前述の安芸高田市の件からもわかるように、これは局所的な問題ではなく、全国的な「慣れと油断」の問題です。
本来であれば、どこかの自治体でこのような失敗が起これば、それを教訓にして全国の消防が即座に再点検を行い、同様の過ちを防ぐよう全庁的に動くべきです。ところが、消防の世界ではそれがなされない。つまり「前例から学ばない組織」なのです。
5. システムの共通性と、責任の分散構造
消防の情報通信系システムは、総務省消防庁の方針のもと、各自治体が整備しています。そのため、機材のメーカー、指令装置、ネットワーク設計などに共通点が多く、どこでトラブルが起きても「うちにも同じ装置がある」ということは非常に多い。にもかかわらず、他地域での障害を「対岸の火事」のように受け取っているのが現状です。消防組織が対岸の火事を体現するとは、あまりに滑稽ですが、これは対岸の火事ではありません。このような人たちが、全国どこにも存在し、あたなの非常に偉そうに駆けつけてくる可能性があるのです。
また、こうした重大なシステム障害に対して、「責任の所在」が明確にならないのも消防組織の問題点です。非常用電源が作動しなかった原因、保守の不備、訓練の不足――これらが誰の責任なのかを明らかにしないまま、「機械の不具合だった」「手動でも間に合った」と言い訳を並べて終わる構図が繰り返されています。
民間企業であれば、こうした社会インフラに関する障害はトップ責任となり、徹底した原因究明と再発防止策が求められます。しかし消防では「前例として処理」され、組織全体が形式だけの反省で済ませてしまう傾向があります。
記憶として強く残る東日本大震災時の原発事故も非常電源に由来するものでした。
6. 市民から見れば「通報できない消防」は本末転倒
消防は、市民の命を守るために存在する公共機関です。市民が119番をかけたとき、それがつながらない、もしくは保留されるということは、まさに「存在意義の喪失」です。今回、呉市では2時間50分もの間、通報システムが使えない状態でした。仮にこの時間帯に火災や重篤な救急事案が発生していたら、誰が責任を取るのでしょうか。
そして恐ろしいことに、消防内部ではこうした「数時間の通信不能」を「なんとか現場対応できたので大丈夫だった」と結論付けてしまうのです。これは一種の感覚のマヒであり、「結果オーライ」で済まされては、次に命を落とすのは我々市民です。
呉市の消防局は今後、原因を調査し、報告書を出すでしょう。しかしそれは市民の目線に立ったものとなるのでしょうか。それとも、組織のメンツを守るための「報告書づくり」に終始するのでしょうか。
7. 組織文化としての「学ばなさ」が問題
今回の事例を通じて最も強く感じるのは、「学ばない組織」という消防の体質です。同じような事故が全国で繰り返され、何年も前から指摘されてきたにもかかわらず、根本的な改善がなされていない。つまりこれは「想定外」ではなく、「怠慢の結果」と言って差し支えないのです。
現場の隊員たちがどれだけ命懸けで活動していても、その司令塔が機能しないのであれば全てが無に帰します。危機管理を担う側が危機に弱いというのは、まさに皮肉であり、矛盾そのものです。