八潮市陥没事故検証の意味なし【小規模消防本部が全国標準を語る違和感】

消防ニュース
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埼玉県道陥没事故と草加八潮消防組合の検証委員会設置

 埼玉県八潮市で県道が陥没し、トラックが転落する事故が発生しました。この事故で、千葉県八街市在住の74歳の男性運転手が死亡しました。事故当初、男性は消防隊員と会話が可能な状態でしたが、救助活動は難航し、最終的に命を落とす結果となりました。

 この事故を受けて、地元の草加八潮消防組合は2025年5月27日、救助活動の検証を目的とした有識者による検討委員会の設置を発表しました。同組合によると、検討委員会は学識経験者や消防、行政関係者ら約10人で構成され、今後同様の事故や災害が起きた場合の活動体制や救助方法について議論し、早ければ年度内にも報告書を取りまとめる方針とのことです。

小規模消防本部による全国標準の提示への懸念

 草加八潮消防組合は、職員数約330人の小規模な消防本部です。これは、東京消防庁の約60分の1の規模に相当します。このような小規模な組織が、有識者を集めて救助活動の検証を行い、その結果を全国の標準として提示しようとするだとすれば、この動きには疑問を感じざるを得ません。

 もし、この検証が「小規模消防本部がどのように救助活動を行うべきか」という内部的な検討であれば理解できます。しかし、全国の消防本部に影響を与えるというように勘違いされるような標準を提示しようとするのであれば、それは適切ではありません。

 全国的な標準を策定するのであれば、少なくとも県庁所在地や政令指定都市レベルの消防本部、あるいは総務省消防庁が主導すべきです。

災害現場における専門家の不在と救助活動の現実

 検討委員会には学識経験者が含まれるとのことですが、実際の災害現場にはそのような専門家が常駐しているわけではありません。例えば、木造建築物の崩壊現場に木造建築の専門家が、橋の崩落現場に橋梁の専門家が、常にいるわけではないのです。災害現場では、救助隊員が限られた情報と時間の中で判断を下し、行動する必要があります。

 そのため、検証の焦点は「専門家がいない中で、どのように安全性を評価し、救助活動を継続するか」という点に置くべきです。もし、草加八潮消防組合が「我々は救助の専門家ではない」と宣言するのであれば、それは救助活動の根幹を揺るがす発言であり、慎重な検討が求められます。

「検証」の目的は何か――自らを守るための制度化

 本来、こういった検証は「再発防止のため」「安全管理体制の強化のため」とされます。しかしながら、現実はどうでしょうか。
 消防において「検証」が行われた結果、具体的なマニュアルの見直しが実行され、現場の判断に劇的な影響を与えた例は極めて少ないのです。

 検証の名を借りたポーズであり、「きちんと調査しました」「責任をもって組織として対応しました」というアリバイ作りにすぎない事例が数多く見られます。
 今回の草加八潮消防組合による有識者検討委員会の設置も、そうした“自己正当化の枠組み”に乗っている可能性が極めて高い。

 つまりこれは、「なぜ助けられなかったか」の検証ではなく、「助けられなかったのは妥当だった」とするための検証であるという可能性を、慎重に見極める必要があるのです。

小規模本部の実力差と自覚のなさ

 330人という組織規模で、困難な現場に対応しきれなかった――これは避けられない現実かもしれません。
 ならば、それを素直に認めたうえで「我々のような規模では限界がある」という前提で語ればよいのです。

 しかしながら、その認めは組織的に許されないでしょう。となると、そこに“全国標準”のような色彩を混ぜることになるのでしょう。
 規模に見合った限界を知り、自らの立ち位置を把握したうえで控えめに運用していくのが組織としての誠実な態度であるはずです。
にもかかわらず、有識者を集め、あたかも救助活動のモデルを策定するかのような態度をとるのは、自己評価が過剰であり、また極めて不適切です。

 特に地方消防に多く見られるのは、「ウチのやり方が正しい」という一種の島国意識です。
全国の一員であるという視点を欠き、自分たちの事例を正当化・美化するために外部の専門家を使う――これは組織防衛本能であり、本質的な改善に繋がることはまずありません。

「救助の専門家」が不在という異常事態

 本件の最大の問題は、やはり「有識者委員会」という外部リソースに依存している点です。
現場にいたのは誰ですか? 救助活動をしていたのは消防隊員であり、彼らがその場の状況を判断し、決断して行動したはずです。
 それを、後から外部の学者や行政経験者が、「こうすれば良かった」と検討する。これはあまりに非現実的なプロセスです。

 実際の災害現場に「有識者」は存在しません。
 存在すべきは「救助の専門家」であり、あらゆる条件下で判断を下せる実務的知識と経験を有した隊員たちのはずです。
 そこに自信が持てなかった、そこに確信がなかった、ということであれば、草加八潮消防組合は「我々は救助の専門家とは言えない」と自己否定しているに等しいのです。

繰り返しますが、有識者は災害現場にいません。
救助の専門家が、その現場で即時に判断できる体制と教育こそが、本当に必要とされる検証の方向性であるべきなのです。


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総括:見失われた「現場のリアリティ」

草加八潮消防組合の行動を否定する意図はありません。
問題は、「なぜ助けられなかったか」という真摯な問いから目を背け、「我々は最善を尽くしたが、限界があった」という物語を作り出す動きに他ならないのではないか、という懸念です。

330人という規模、限られた装備、限られた経験――これらを直視することなく、仰々しい有識者委員会を設置して“妥当性”だけを担保する。
それでは、誰も救えない未来が続くだけです。

 もしこの検証の結論が、「やむを得なかった」「危険を伴うため中止は適切だった」というものであれば、それは想定内の結果であり、何の進歩もない。
 検証が本来果たすべき役割とは、「現場のリアリティ」に根差した改善であるべきです。
形式と外見だけを整えても、命を救う力にはなりません。