はじめに:ニュースの概要
2025年7月1日から、仙台市消防局は救急隊が出動中に水分補給などを目的として、日中に限りコンビニエンスストアに立ち寄ることを正式に認めたと発表した。同時に、これに対して市民の「理解を求める」とのメッセージを添えて広報を行っている。
背景には、夏場の猛暑による出動件数の増加や、隊員の体調維持、労務管理上の課題があるとされている。消防局側は、連続した出場で拠点に戻れず、休憩や水分補給が困難な状況にあることを理由にあげている。
一見すると、これは過酷な職務にあたる救急隊への配慮と受け取られるかもしれない。しかし、冷静にこの発表内容を読み解くと、そこには【存在しない苦情を前提とした正義の演出】が巧妙に織り込まれている。
実態とかけ離れた同情誘導
まず前提として、救急車がコンビニに立ち寄ることを禁止する法律は存在しない。
そして報道内でも、市民から苦情が多数寄せられているという具体的な事実は示されていない。
それにもかかわらず、消防局は「理解を求める」とわざわざ呼びかけ、あたかも批判的な市民が存在するかのような印象を与えている。
そもそも、苦情など無いに等しい。
筆者は苦情の集計に関する業務を行ったことがあるが、現場の消防職員や救急隊員の態度が悪いとか、出退勤時のバイクや車の運転が危険だとか、訓練の声が奇声のようでうるさいとかが大半だ。消防車がコンビニに停まっているのを見て、「何してたんですか?火事ですか?」という問い合わせが稀にあるくらいだ。
つまりこれは実質的に【架空の敵】をつくり出すことで、
消防側があたかも誤解されながらも正しく働く存在であるかのような印象操作を行っていると言ってよい。
要するに、正義と被害の両方の立場を自ら演出し、共感と称賛を引き出そうとする広報手法なのだ。
救急車の稼働状況と現実
仙台市消防局によれば、救急車は全40台保有されているが、実際に稼働しているのは常時29台程度とされる。
2024年度の救急出場件数は65,060件、搬送人数は54,266人である。
これを単純に365日で割ると:
- 1日あたりの出場件数は約178件(65,060 ÷ 365)
- 稼働中の29台で割ると、1台あたり約6.1件/日
さらに、1件あたりの所要時間を50分と仮定すると、
1台あたりの稼働時間は1日約5時間強(≒305分)
つまり、24時間勤務のうち19時間近くは稼働していないというのが実態だ。
「休む暇がない」「拠点に戻れない」といった印象操作は、こうした数字を無視したものと言わざるを得ない。
市民に責任転嫁する構図と、コメント欄に見る偏った反応
このニュースに対するコメント欄の反応を見ていくと、その多くが【理解や同情を示す意見】で埋め尽くされている。
「過酷な現場に立ち向かう救急隊に、コンビニ休憩くらい当然」「苦情を言う人こそ非常識」といった声が多数を占めており、消防側の主張をそのまま肯定・代弁するような内容が目立つ。
一方で、【苦情など実在しないのではないかと冷静に疑問を呈する意見】はごくわずかであり、
「実際に苦情があったという事実を聞いたことがない」「消防側が先回りで弁明しているだけでは?」といった投稿も散見されるものの、全体の中では完全に埋もれている印象である。
さらに、【市民のせいにする構図そのものへの批判も見当たらない】。
本来であれば、公共組織が仮想的な理解不足の市民を想定し、それに対抗する自分たちを正しい側として演出する広報手法に対して、一定の批判や違和感があって然るべきである。
しかしながら、そのような視点を持った意見はほとんど見受けられず、
むしろ「市民の中には文句を言う人がいるから可哀想」という、前提ごと受け入れたうえでの同情ばかりが拡散しているのが実情だ。
この状況を踏まえると、消防による一方的な【理解を求める広報】が、そのまま市民感情を誘導することに成功しており、
異論や懐疑的視点が非人道的な苦情側として排除されてしまっている構図が見て取れる。
つまり、あたかも【善意だけで満たされた社会】であるかのような虚構が構築されており、
それが【批判しづらい空気】をさらに強める循環を生んでいるのである。防側の広報は前者の意見だけを拾い、後者を苦情側に混同するような構図を強化してしまっている。
救急隊にかかる税金のリアル
仙台市消防局によれば、救急隊員は専任249人、兼任491人の体制となっている。
仮に1人あたりの年間コスト(給与・手当・社会保険・装備費など)を約800万円とすると、
- 専任249人で 約19億9,200万円
- 兼任491人のうち半数が救急業務に従事するとして 約19億6,400万円
合計で約40億円近い税金が救急隊員の人件費として投入されていることになる。
これは仙台市消防予算(約137億円)の実に3割弱に相当する巨額である。
さらに、救急車1台あたりの車両更新費用(約4,000万円)、
これを考慮すると、さらに財政負担の大きさは計り知れるだろう。
“正義の側”という立ち位置の自己演出
仙台市消防局が広報で採っている手法は、極めて単純だが効果的である。
【1】存在しないか、微弱な否定意見を「市民の誤解」として仮想敵に仕立てる
【2】それに耐える自分たちの姿を健気な公務員として美化する
【3】市民の理解と共感を得ることで、防衛的広報を正義の語りに変換する
こうした演出は、問題提起に対する批判や検証を封じる効果を持つ。
共感を集めた者が勝ちという現代の情報環境において、疑問を呈すること自体が冷たい人間とされるような空気を作り出すのである。
実態と乖離する“理解キャンペーン”の末路
救急隊の活動に理解を促すこと自体は、決して悪ではない。
だが、その手段として【存在しない敵】をでっちあげ、自らを【誤解される被害者】として描くのは、公共機関としてあるまじき態度である。
冷静に数値を見れば、仙台市消防局の救急車29台で1年間に対応する件数は6万5,000件。
1日あたりの出動件数は約180件、1台あたり 6.2件/日 程度だ。
1件あたりの所要時間を50分と仮定すると、1台あたりの稼働時間は 310分(約5時間10分) にすぎない。
24時間のうち、実働は約5時間、残りは19時間近くが待機または非出動時間である。
もちろん、突発的な連続出動が起きることはあるだろう。だがそれは、1年間のうちのごく一部の現象だ。
むしろ、拠点から一歩も出ないような日もあることを考慮すれば、平均的な忙しさを前提に制度設計や労務管理が行われていることになる。
それでも「休憩時間もない」「水分補給の理解を」などと広報で訴えるのは、
一種のプロパガンダと捉えられても仕方がないだろう。
正義を装う組織の“無自覚な暴力性”
救急隊が市民の命を守る重要な存在であることは否定しない。
だが、そうであるからこそ、【主張の正当性や根拠】が厳密でなければならない。
市民からの批判や疑問を、最初から理不尽な苦情として排除する構造を作り上げ、
それに耐える英雄像を描く行為は、いわば自己正当化のための演出であり、
それを支えるのは、公的権力が持つ無自覚な暴力性である。
誤解されているのではない。
誤解されていることにしたいだけなのだ。
まとめ:制度の“誤解”ではなく、“構図”の問題
仙台市消防局の今回の広報姿勢は、制度の正当性や職務の実情を正しく伝えるものではなかった。
それはむしろ、広報という名の共感誘導型演出であり、感情に訴えて批判を封じるための手段だった。
【制度の誤解】ではなく、【構図の捏造】こそが問題である。
消防という巨大な組織が、【自分たちにとって都合の良い市民像】を仮想的に構築し、
そこから得られる同情や称賛によって、内部の労務課題や非効率の問題を覆い隠してしまう構造。
これが美談に見えてしまう社会ならば、
その社会構造そのものが、すでに健全性を失っているのかもしれない。