1. 【事故概要】赤信号で交差点に進入、消防車が70代男性の車に衝突
2025年6月、名古屋市港区にて、火災現場に向けて緊急走行中だった消防車が、赤信号の交差点に進入し、直進してきた乗用車と衝突。乗用車を運転していた70代の男性が負傷したという。
この件について、消防側は「火災現場へ向かう途中だった」「サイレンを鳴らして走行していた」と主張している。
報道記事には事故責任の所在が明記されていないものの、SNSやコメント欄には「緊急車両に気づかなかった相手車両が悪い」とする意見が数多く並んでいる。
だが──
それは明確に間違っている。
今回の事故について、筆者は100%、消防車両側に過失があると断言する。
2. サイレンが聞こえる前提が、すでに間違っている
そもそも、我々人間は「認知」していないものに対して、注意を払うことなどできない。
サイレンが聞こえなければ、認知もできない。視界に入っていなければ、察知のしようもない。音と光は伝わる範囲が限られ、かつその効果は環境によって大きく左右される。
窓を閉め、音楽を流し、エンジンをかけている車の中で、外部からのサイレンがどれだけ鮮明に届くというのか。
さらに、緊急車両のサイレンは消防車の中にいる側が最も大音量で聴いている。そのうるささゆえに、彼らは“全員に聞こえている”と錯覚するが、これは完全な認知バイアスだ。
自分の音は自分にはうるさく聞こえる。だがそれが他者に届いているとは限らない。
ましてや、信号を守って交差点に進入した一般車両に対して、「気づかなかったのが悪い」と断罪するのは、まるで宇宙人が人間に向かって超音波を聞けと強要するような話である。
3. 緊急車両は事故を起こしてはならない唯一の存在
緊急車両は法的に優先権を与えられている。赤信号も一時的に無視できるし、速度制限も柔軟に対応できる。
しかしその代わりに、絶対的な注意義務が課されている。
その中で事故を起こすということは、「その特権を行使する資格を欠いていた」と同義だ。
「相手がどけばよかった」「こっちは火事で急いでいた」というのは言い訳にならない。事故はすべての緊急対応を台無しにし、現場到着を遅らせ、結果的に“助かるはずの命”を救えない事態すら招く。
だからこそ、緊急走行中の車両には、誰よりも冷静で、誰よりも慎重であることが求められている。
それができなかったのであれば、事故の責任は100%、緊急車両側にある。
4. サイレンもマイクも「伝わっていない」
一部の読者はこう思うかもしれない。「でも、サイレンも赤色灯も鳴らしてたんでしょ?なんで気づかないの?」
答えは簡単だ。聞こえないからだ。見えないからだ。
人は自分が感じ取れないものに注意を向けることはできない。そして緊急走行中のサイレンは、音が反響して場所がわかりにくくなる。周囲の車のエンジン音、エアコン、音楽、道路の構造や壁の反響で、音の出どころが非常に曖昧になる。
そして、マイクによる注意喚起──これも極めて頼りない。筆者は現役時代にマイク放送を何百回と行ってきたが、走行中の車の中では、マイクの声はまず聞き取れない。
特に男の低い声は、車外に出た瞬間にエンジン音と混ざり合い、何を言っているのかまったく伝わらない。
「緊急車両通過中です。ご協力ありがとうございます。」
「道を開けてください。交差点に進入します。」
こんな長ったらしい放送を繰り返しても、聞こえていないどころか、届いてすらいない。現実的には、「白い車、右によけて」「前の車、停止して」など、的確で短い指示だけが有効だ。
だが、こうしたノウハウが共有されることも少なく、多くの消防職員が“自己満足的マイクパフォーマンス”に終始している。
伝えることではなく、「言ったことにする」ための手段になっているのだ。
5. 「こっちは急いでる」は事故の言い訳にならない
緊急車両に与えられているのは「優先」ではなく、「慎重な通行の上での優先」である。
特に交差点進入時には、たとえ赤信号であっても、一時停止・安全確認を行わなければならない。
今回のように、赤信号でそのまま交差点に突っ込んで乗用車と衝突したのであれば、完全に消防車側の過失である。
市民は信号に従って走っている。これは法に則った正しい運転だ。それを「気づかなかったのが悪い」と責めるのは、あまりにも傲慢だ。
現場に急いでいた?だから何だというのか。
現場にたどり着く前に事故を起こしてどうする。
その瞬間に、任務は破綻しているのだ。
6. 緊急走行中でも「事故を起こす=失格」である
「でも現場は火事だったんですよ?急いでて当然じゃないですか」
──このような意見も見られるが、だからといって交差点で事故を起こしていい理由にはならない。
むしろ、火災現場に向かうという「最も重要なミッション」のために、誰よりも冷静でなければならなかったはずだ。
にもかかわらず、交差点という最もリスクの高い場所で、最も基本的な安全管理に失敗している。
これは、“気づいていなかった”市民ドライバーではなく、“確認しなかった”消防運転手の責任である。
その緊張感のなさ、過信、自分たちの音が世界中に聞こえているかのような錯覚──
それらが積み重なって、今回の事故は起きたのだ。
7. 緊急走行が“特権”になった瞬間から、緩みは始まる
本来、緊急走行とは「一刻を争う命を守るための例外的行為」であり、慎重さと責任の上に成り立つ制度である。
ところが、現実にはその例外が常態化し、緊急走行すること自体が“当然の権利”のように扱われている場面があまりに多い。
──こうして「優先」ではなく「特権」になったとき、そこにあるべき慎重さと責任感は消えていく。
緊急走行は、特別な任務だから許されているのではない。特別な責任を負うから許されているのだ。
8. なぜ誰も責任を取らないのか
こうした事故が発生しても、処分される隊員はほとんどいない。せいぜい“厳重注意”や“所属長訓戒”という内部処理で終わる。
その理由は明白だ。組織が一丸となって「責任を回避すること」に慣れ切っているからだ。
- 「緊急だったから仕方がない」
- 「乗用車の不注意も一因」
- 「悪意はなかった」
- 「業務上必要な行為だった」
──そうした言い訳のテンプレートが、組織内に既にできあがっている。
さらには、事故が報道されても、公式の謝罪は極めて曖昧。説明会も非公開、再発防止策も「検討中」。
一件一件が「うやむやに終わる」ことによって、事故の重みが失われていく。
だからこそ、同じ事故が繰り返される。
9. 「事故が起きたら現場にたどり着けない」──これが全てだ
火災現場に向かっていた?だから何だ。
そこで事故を起こした時点で、任務は達成不能になっている。
今回の事案でも、事故により別の隊が応援に回る事態となり、初動に支障が出た可能性が高い。もしこの遅れによって、火勢が拡大したり、二次被害が発生していたら──誰がその責任を取るのか?
乗用車に乗っていた70代の男性に責任を押しつけて、終わりにするのか?
違う。
誰よりも冷静であるべき消防職員が、火災現場に着く前に興奮して注意散漫になり事故を起こすことこそが、最大の過失である。
「これほど注意力の欠如した人間が、火災現場についていたら殉職していたかもしれない」というほどの注意力の欠如。それを事故という言葉で包み隠して済ませてよいはずがない。
10. 最後に──「気づかなかった」が責められる社会の恐ろしさ
今回の事故報道における最大の問題は、一般車両側に落ち度があるかのような世論の流れだ。
「緊急車両に気づかない方が悪い」「譲らない車が悪い」「耳をすませていれば聞こえるはず」
──だが、それは人間の限界に対する想像力を欠いた言葉だ。
人は万能ではない。誰もが聞こえるわけでも、見えるわけでもない。
それでも交通法規を守っていた者が事故に遭い、しかも「お前が悪い」と責められる社会。
それは、あまりにも不誠実であり、不健全だ。
だからこそ筆者は、断言する。
この事故は100%、消防車両側の責任である。
そして、責任を取らない組織に明日はない。