1|序章|交替制勤務という“当然”を疑う
全国すべての消防本部が採用している「交替制勤務」。
24時間勤務を原則とし、チーム単位で完全交替していくこの勤務体制は、一見すると「消防なら当たり前」のように思える。2交替制なら2チームで1日おきに、3交替制なら3チームでローテーションを組み、常に誰かが署所にいるという仕組みだ。
だが、この体制には根本的な疑問がある。
民間企業に置き換えて考えてみよう。
「3日に2日は担当者不在」「24時間ごとに現場責任者が全員入れ替わる」──そんな組織が信頼に足るだろうか?継続的な業務管理や引き継ぎが必要な現場で、このようなローテーションが容認される職業は、消防以外にはまず存在しない。
それでもなお、「伝統」「習慣」「制度」として存続し続けている交替制勤務。
この制度が、いかに市民にとって不利益であり、危険をはらんでいるかについて、本稿では具体的な問題点を指摘していく。
2|制度の仕組みと、引き継がれない現実
まず、交替制勤務の基本構造を整理しておこう。
- 2交替制:A・Bの2チームで24時間交代。A→B→A→Bと連続して勤務が回る。
- 3交替制:A・B・Cの3チームが24時間単位で回る。A→B→C→Aの順。
どちらの形式であっても共通するのは、「前日、前々日に何があったかを詳細に把握している者がいない」ということだ。形式的には日誌の記録や口頭の引き継ぎが存在するが、それはあくまで最低限の情報であり、現場の細部まで伝達されることはほぼない。
つまり、ある火災現場で発生したリスクや、ある住民から受けた重要な苦情、ある設備点検の不備──それらは24時間を過ぎればリセットされてしまうのだ。
継続性のない情報管理は、組織の対応力を著しく低下させる。
これは、消防という命を預かる現場においては致命的である。
市民側からすれば、誰が対応しようが「消防本部」であることには変わりない。だが実際には、応対するのがどのチームであるかによって、知識・経験・情報量に大きな差が生まれている。これが、次に述べる“実力格差”という問題につながっていく。
3|能力格差と「見て見ぬふり」の組織構造
交替制勤務の最大の弊害は、チーム間の能力差がそのまま住民サービスの質に直結していることだ。
例を挙げよう。
ある地域で、同じような構造の木造住宅で3日間連続して火災が発生したとする。
初日のAチームは延焼を防ぎ、迅速に鎮圧し、建物1棟の被害に留めた。
翌日のBチームは対応に手間取り、2棟が焼損。
さらにその翌日、Cチームは現場指揮に混乱が生じ、4棟を延焼させてしまった。
同じ組織、同じ消防署、同じ装備を持っているにもかかわらず、結果はまったく異なる。
これは仮想の話ではない。
実際に現場では、「このチームならうまくいったのに…」という後悔や不満が日常的に聞かれる。そしてその格差は市民には一切見えない。
より深刻なのは、その実力差について組織が向き合わないことである。
・「そのときの火の勢いが違ったから」
・「たまたま人通りが多くて通報が遅れたから」
・「想定外の風向きだったから」
──そういった“言い訳”で済まされてしまうのが現実だ。
チームごとの教育方針、リーダーの力量、指揮伝達の癖、経験のばらつき──。
交替制勤務は、これらを隔離された環境で醸成させ、結果的に「消防という一枚岩」ではなく、「3つの独立した消防」が存在しているかのような状況をつくっている。
しかも、それが公式に検証されることはまずない。
なぜなら、そこに組織の“都合の悪い真実”があることを、上層部も現場も知っているからだ。いや、上層部の能力的にそれを認識できていない可能性の方が高いか。
だから、誰も触れようとしない。
そしてその間にも、次の火災は起きる。
4|マニュアル万能論の崩壊──統一も透明性もない
では、このようなチーム間格差を是正するために消防本部が頼っているものは何か。
それが、「マニュアル」「活動指針」である。
「誰がやっても同じ結果を出せるように」
「少なくとも同じ手順で進められるように」
──その目的自体は決して間違いではない。標準化は多人数で構成される組織において不可欠な考え方だ。
だが、実態はどうか。
各交替チーム(仮にA〜C)が、独自のマニュアルや暗黙の運用ルールを持っているという現象が日常化している。公式には“統一マニュアル”があるものの、それは「共通部分だけを抜き取った骨格」に過ぎず、最も重要な判断や処置の部分は記載されていないことが多い。
理由は明確だ。
「書いてしまうと責任が生じるから」──である。
現場指揮で本当に差が出るのは、記載された操作手順や号令ではなく、
- いつ突入するか
- どこで待機するか
- 何を優先して処置するか
- 安全確認と人命救助のバランスをどう取るか
──といった“判断”の部分である。
しかし、そこは「記載しない」ことであえて曖昧にし、属人的な運用に委ねているのが現実だ。
つまり、マニュアルは形だけ存在し、核心からは目を逸らす構造になっている。
これでは、毎日違う消防が活動しているのと変わらない。
同じ現場が3日連続で発生したとしても、それぞれの日でまったく違う動きをすることになる。
市民が安心して任せられる体制とは、到底言えない。
5|市民にとって一切の利なし──交替制がもたらす損失
こうした勤務体制の中で、市民にとっての「利点」は何一つない。
「交替制のおかげで助かった」などという話は聞いたことがないだろう。
むしろ、交替制による最大の弊害は次の3点に集約される:
- 実力差による被害の拡大
→ 経験・技術の差によって、火災規模や救急判断に差が生まれる。 - 情報引き継ぎの断絶
→ 継続案件の把握が不十分になり、二重対応・誤認・見逃しが発生する。 - 組織運営の分断と形骸化
→ チーム単位で運用が独立し、統一した組織として機能していない。
これらはすべて、「市民にとって損でしかない状況」を構造的に生み出している。
それにもかかわらず、なぜこの制度が維持されているのか?
なぜ誰も声を上げず、改革の議論が起こらないのか?
その理由は、あまりにも単純で、かつあまりにも本質的だ。
6|なぜ変えないのか──その答えは、職員の都合にある
消防が交替制勤務を捨てられない理由──
それは、職員側の“利”に直結しているからである。
まず、交替制勤務は職員にとって勤務内容が非常に分かりやすい。
「行って、帰って、次は明後日」──このリズムに慣れた職員にとって、平日昼間に働き、夜は自宅で過ごし、土日は休むという民間的スケジュールは極めて“複雑”に映る。
つまり、交替制くらい単純な勤務体系でないと、理解も適応もできない人間が数多く存在する。
それが変革を阻む最大の要因のひとつである。
さらに、交替制勤務は“暇な時間”にも給料が発生する勤務形態であり、1回の勤務で2〜3日分の給与が実質支払われている。
当然、実働が少ない日もある。
火災も救急もなく、仮眠と食事と雑談で終わる24時間も、正規の勤務日である。
そして翌日は休み。
つまり、楽に感じる勤務体制で、収入も確保でき、勤務日数も実質的に少ない。
これが、多くの消防職員が交替制に執着する最大の理由である。
「多忙アピール」は常に行われている。
だが実際には、多忙ではない時間の方が長い。
その構造を表に出さないために、「交替制は当たり前」として温存され続けているのだ。
結び|交代制勤務の維持は構造的欠陥
消防の交替制勤務は、市民の命と財産を守るための制度として本来設計されていたはずだ。
だが、今やそれは「職員の都合を最優先にした制度」に成り下がっている。
情報は伝わらず、実力差は放置され、マニュアルは骨抜き。
市民はどのチームが来るかという“運”に命を預けなければならない。
消防という職業の本質が「助ける」ことであるならば、
その仕組み自体が助ける力を奪っていては、本末転倒である。
“交替制勤務”はもはや前提ではない。
それが前提であり続けている限り、消防という組織は自浄も進化も不可能だ。