宮崎県西臼杵広域行政事務組合消防本部で、ハラスメント行為により懲戒処分を受けた2名の職員が、処分の取り消しを求めて不服申し立てを行ったというニュースが報じられた。
報道によると、懲戒処分はセクハラやパワハラに該当する内容に対して下されたものであり、消防本部側は「証拠と事実確認に基づいた適正な判断」と説明しているが、当の処分者側は「納得できない」として、あくまで“冤罪”を主張している。
正直なところ、「どんどんやってくれ」と言いたいところである。
なぜなら、この件はハラスメントが起きたこと以上に、「それをめぐる処分や対応のバラつき」、「本部の恣意的な運用」、そして「組織文化としての隠蔽体質」が露呈しているからだ。
ハラスメントが日常であるという事実
まず大前提として、消防組織においてパワハラやセクハラが日常的に行われていることは、現場にいた者であれば誰もが知っている“公然の事実”である。
人格を否定する怒号が飛び交う訓練現場、性的な言動を“いじり”として処理する職場空間、上下関係を利用した強制的な飲み会──
どれもこれも、「そういうもんだ」として処理されてきた。
だからこそ、今回の件で表に出たこと自体が珍しい。
普段は“なかったこと”にされて終わるはずのものが、なぜか今回は“処分”まで行き着いた。
これに対して処分者が異議申し立てをするのは当然といえば当然だ。
なにしろ「いつもだったらもみ消されるのに、なんで今回は?」という疑問があるのだから。
総務人事による“選別的ハラスメント認定”
問題はここにある。
実は消防本部の総務人事には、「ハラスメントの線引きを恣意的に運用している」という指摘が以前からある。
つまり──
- 都合の悪い案件は“事実確認中”のまま握りつぶす
- 対処すべき案件が来ても「被害者側が問題だ」として切り捨てる
- 一方で、組織的に“荒立てた方が得”なケースだけを積極的に処分する
というような、選別的処理が行われているということである。
これまでに指摘してきたように、同様の事案で免職になる者がいる一方で、同じかそれ以上の行為をしても何の処分も受けない者もいる。
今回の西臼杵消防本部の件はまさにその典型で、「なぜこの件だけ処分まで行ったのか?」という問いが浮かぶのだ。
“加害者が騒ぐ構図”すらも、もはや珍しくない
今回のように、処分者が「納得できない」と表に出てきたことで、「消防士らしいニュース」が完成する。
セクハラ・パワハラで処分を受けた人間が、それでも「俺は悪くない」と主張して出てくる。
そんな構図すらも、すっかり“見慣れた景色”となってしまっている。
しかも、それが全国紙に報じられるというのも皮肉だ。
普段は目立たない地方の消防本部の話題が、ハラスメントで処分された人間の“抵抗”によって全国に拡散する。
それはある意味で、“消防組織のリアル”を象徴しているとも言える。
まとめ
加害か被害かの個別事案を判定する場ではない。
ましてや誰かを断罪することを目的としているわけでもない。
ただ、これだけは言いたい。
この手の不祥事が表に出たとき、「またか」「消防らしい」と思われてしまうような組織であるということ──
その事実こそが、最大の問題なのである。
一つ一つのハラスメントは小さな火種に過ぎない。
だが、それが繰り返され、見過ごされ、都合の良し悪しで処分されたりされなかったりする。
その構造こそが、現場の信頼を蝕み、まともな人間が去っていく原因であり続けている。
だからこそ、今回のような“処分者の異議申し立て”すらも、
「またか」と思わず、「もっと騒げ」と思うのである。
騒げば騒ぐほど、消防組織の“日常の異常さ”が炙り出されるのだから。