ドラマ『PJ ~航空救難団~』第2話では、唯一の女性訓練生である藤木さやか(石井杏奈)がフィーチャーされました。水泳で国体に出場した経験を持つ彼女が、海上での過酷な救難現場を想定した訓練で水への恐怖心に襲われ、パニック状態に陥る様子が描かれています。訓練修了後、同期の沢井(神尾楓珠)から励まされるさやかですが、「私が女性だからって、上から目線はやめて」といら立ちを見せる場面もありました 。
このエピソードは、女性が男性と同等の訓練に挑む姿を描くことで、視聴者に強い印象を与えました。しかし、同時に「女性隊員」というラベルが前面に押し出されることで、性別による区別が強調されているとも受け取れます。このような演出は、現実の消防組織における女性職員の扱いにも通じる問題を浮き彫りにしています。
2. 「女性消防職員」という雑な括りが生む違和感
昨今の行政は「女性比率」を絶対指標に据え、目標値の達成度で組織の“進歩”を測ろうとする。だが、そもそも「女性消防職員」という大きなくくり自体が乱暴だ。男性職員であれば細分化される――救助志望、救急専門、やる気ゼロ、人間関係が壊滅的――ところが、女性に関してはすべてが一括りにされる。結果、「使命感を燃やす女性救助志望者」も「採用枠に乗っただけで体力基準すら怪しい新人」も、同じ“女性消防士”ラベルで処理される。かくして真に力ある女性まで埋没し、逆に不足点の目立つ新人が“女性隊員の代表”として誤解される。ドラマ第2話と同様に「女性」という看板でしか語られない現実が、現場の混乱を助長している。
3. 「やる気も能力もない」層を測定できない組織
ここで問題なのはラベルの有無ではない。「やる気・能力が最低水準を下回る職員」を客観的に測定し排除する仕組みが消防に存在しない点だ。本来、公務員評価基準は文書化され「人事評価表」に落とし込まれているはずだが、
実態はコピペと前例踏襲で意味を失った文言が並ぶばかり。作った本人すら理解していない評価項目で、人のモチベーションや適性を測ろうとするから破綻する。当然、残るのは測定不能な無能と、評価を気にして保身に走る凡庸な層。その上に「女性比率」をノルマのように被せると、基礎体力も最低限の知識も伴わない新人が大量採用される危険がある。
4. 本当に変えるべきは「性別」よりも「分類」の視点
女性消防職員の増加を議論する前に、まず明確にされるべきは「どんな職員が必要か」という分類である。つまり、性別ではなく「救助に適した能力」「継続的な努力」「責任感」「協調性」など、本質的な要素に基づいて分類すべきなのだ。
ところが、現行の制度では「女性」というだけで一括りにされ、その内部での力量の差を考慮しない。結果として、やる気も能力もない女性職員が存在するにもかかわらず、その問題点が「女性全体」にも、「評価制度」にも波及せず、組織としてフィードバックがなされない。これは逆差別の構造ですらあり、本来評価されるべき有能な女性職員の存在すら曇らせてしまう。
例えるなら、「男子生徒が勉強で失敗したら個別指導され、女子生徒が失敗したら“女子だから仕方ない”と一括で評価される」ようなものだ。そんな制度で才能が育つはずもない。
5. 「やる気も能力もない男性職員」はなぜ見逃されるのか
不思議なのは、男性職員に関しては「無能枠」が半ば黙認されていることだ。評価基準の形骸化は性別を問わず広く浸透しており、結果的に「仕事ができないのに給料だけは一人前」という職員が一定数存在している。こうした層は声を上げず波風を立てず、組織の下層に張りついて定年まで居座る。そして誰も問題視しない。
では、女性職員がそのポジションに入ってきたらどうなるか? 男女という性差の文脈で注目されるため、その無能さが際立って批判の対象になってしまうのだ。本来ならば「やる気がない・能力がない」という点で男女問わず適正な処遇をすべきなのに、「女性だから」と過剰に保護する方向へと舵を切る。これでは現場の信頼も得られず、逆に反感を生むだけである。
6. 現場の声と組織の現実
筆者は過去、現場で「何を言っても理解してもらえない職員」と幾度となく接してきた経験がある。指導しても同じミスを繰り返し、業務が属人的になることで現場全体が疲弊する。こうした職員に限って、定期異動により他部署へと移動し、今度は別の上司のもとでまた同じトラブルを引き起こす。そして、やがて「パワハラの被害者」として休職する。
このようなケースに共通するのは、「やる気も能力もないのに、居座り続ける」ことができる組織構造だ。その背景には人事部門の怠慢がある。採用時に適格性の見極めができていないばかりか、能力の欠如が明白になっても何ら是正措置を取らない。だから問題職員は巡回し、指導者の精神をすり減らし、次の被害者を生む。
7. 「適格性を欠いた職員」を見抜けない組織の罪
本来であれば、採用時や人事異動時の段階で、適格性を欠く職員については明確に線引きされ、採用や配置から外されて然るべきである。そうでなければ、問題を「組織に馴染めなかった当人の責任」や「指導方法の問題」に押し付けて終わってしまう。だが、繰り返すが現場での指導は既に限界を超えており、何を言っても伝わらない職員を抱えた状態で災害対応に臨むなど、自殺行為に等しい。
実際、筆者自身も過去に「指導が通じない後輩」を持った経験がある。どれだけ丁寧に説明し、資料を作成し、時間を割いても改善が見られない。しまいには火災出動時、彼の不適切な判断で命を危険に晒されたことすらあった。それでも組織は何も対応せず、見て見ぬふりを決め込む。やがてその職員は他部署に異動し、同様のトラブルを起こし、今度は別の上司が「パワハラ上司」とされてしまった。組織は問題職員を“循環”させることで、責任の所在を曖昧にしているに過ぎない。
8. 性別ではなく「職員分類表」の導入こそが鍵
女性消防職員の数が少ないという表面的な問題にばかり着目するのではなく、まず取り組むべきは「職員を性別で分類することから脱却すること」である。そのうえで、救助活動や緊急対応にふさわしい能力・精神性を有する職員を見極める“適格性評価”の導入が求められる。
・使命感を持って救助隊を志望する者
・人命の重みを理解し、責任ある判断ができる者
・職責に対して継続的な自己研鑽を怠らない者
こうした評価基準を持ち込めば、性別を問わず優秀な職員が育ち、不適格者を採用・配置しない仕組みが機能する。言い換えれば、「女性消防職員の問題」などではなく、「組織の人事と評価制度の問題」なのだ。
9. まとめ:ドラマが突きつけた問いと、私たちの現実
ドラマ『PJ航空救難団』第2話は、単なるフィクションを超えて、現実の消防行政に警鐘を鳴らしている。劇中の女性航空救難員のように、性別の壁を越えて現場に立つ覚悟と能力を持った人材が存在する一方で、現実の消防では「女性」というラベルでひとくくりにされ、本質的な能力の評価が置き去りにされている。
性別ではなく「能力と覚悟」に基づいた評価軸を持たなければならない。そうでなければ、男女問わず、真に命を守る職員が報われず、現場に無責任な“見せかけの平等”だけが残ることになる。改革すべきは、女性職員の比率ではない。組織の根本的な評価体制と、その背後にある腐敗した制度なのである。