新システム「Live119」の概要
奈良県内の全消防本部で、通報者のスマートフォンを活用して現場の映像を消防と共有するシステム「Live119」が導入されました。このシステムは、119番通報時に通報者のスマートフォンにSMSでURLを送信し、通報者がアクセスすることで、現場の映像をリアルタイムで消防に送信できるというものです。これにより、消防は現場の状況を迅速に把握し、適切な対応が可能になるとされています。
同様のシステムは、岐阜市や愛知県東三河地区などでも導入されており、通報者のスマートフォンを通じて現場の映像を共有する取り組みが広がっています。
実効性と必要性の疑問
新しい取り組みは、業務上の問題や課題を解決するため、または予算上の利益が見込める場合に行われるべきです。しかし、「Live119」の導入に際して、具体的な問題や課題が明確に示されていない点が疑問です。
従来の119番通報でも、通報者からの情報を基に消防は適切な対応を行ってきました。現場の映像がなくても、必要な人員を配置し、迅速な対応が可能であったはずです。それにもかかわらず、新たなシステムを導入することで、既存の体制や人員配置にどのような変化があるのかが不明確です。
また、通報者が映像を送信する際の通信料は自己負担となっており、通報者に追加の負担を強いることになります。このようなシステムが本当に必要であり、効果的であるのか、慎重な検討が求められます。
新しいものは“すごい”だけで済むのか?:説明責任の欠如が浮き彫りに
ここで強調しておきたいのは、Live119というシステム自体を否定しているわけではないということです。技術的に可能となった映像共有システムを、救助・救命の初動対応に活用するという発想は理解できますし、実際に有効に機能する場面もあるでしょう。
しかし、問題はその導入理由や費用対効果、組織的な運用意図の説明がほとんどなされていないことです。
本来、公的機関が新しい技術やシステムを導入する場合には、次のような問いに明確に答える責任があります。
- どのような現場課題や事故が、このシステムで改善されるのか?(想像事案ではなく実際に遭った事例で)
- 従来の運用では具体的に何が不足していたのか?(不足していた結果、どのような被害が発生していたのかを具体的に詳細に)
- 導入によって人員配置や勤務体制にどのような変化があるのか?
- 長期的に見たときに、どれだけの財政削減や効率化が見込まれるのか?
- 利用する市民への負担やリスク(個人情報、通信料)はどう考えているのか?
これらへの答えが提示されていないにもかかわらず、「新しい」「便利」「早く対応できる」といった小中学生レベルの感想だけが先行して報道される――まさにこれが、消防行政にありがちな浅薄なアピール主義の危うさを象徴しています。
「便利そう」から始まる導入が引き起こす負の連鎖
組織としての合理性を欠いたまま、新しいシステムを「便利そうだから」「他の自治体もやってるから」「ニュースになるから」といった理由で導入することは、極めて稚拙な行政運営の典型です。
Live119は単体で完結するシステムではなく、映像の受信体制、判断者のスキル、映像が曖昧だった場合の誤出動リスクなど、多くの課題を内包しています。
それにもかかわらず、「導入に貢献した職員」が組織内で賞賛され、その人の“実績”を組織として支えるために、どんなに無意味であっても、システムの廃止には踏み切れなくなる――このような“武勇伝システム”の呪縛は、自治体によく見られる構造です。
一度導入されれば、その人が退職するまでは誰も手をつけられない。仮に現場から「使いづらい」「意味がない」「負担が増えた」という声が出ても、それは“黙殺”され、上層部だけが自己満足に浸る状況が続いてしまうのです。
真の改革なら、痛みと説明を伴うはず
新しい仕組みを導入するなら、それは何らかの負担を減らす代わりに、どこかで体制の見直しや人員削減を伴うのが当然です。Live119の導入によって、現場での判断時間が短縮されるのであれば、指令員の数を減らせるのか? 通報の聞き取りを簡略化できるのか? 出動隊の最適配置が見直せるのか?
しかし、今のところ奈良県の報道を見る限り、そのような議論は皆無です。導入費用も不明、効果検証の体制も不明、将来の運用計画も不明。「映像があると便利ですね」「現場が見えて安心ですね」といった“感想文レベル”の表現だけが繰り返され、市民や現場隊員にとって何がどう改善されるのかという本質的な問いには答えていません。
技術ではなく「感情」に支配される消防行政の危うさ
本来、消防というのは命を扱う現場です。そこには緻密な計画、冷静な判断、そして限られた資源を最大限に活かすための知的戦略が必要なはずです。にもかかわらず、Live119のようなシステム導入を巡って語られるのは、「感動的な事例」「便利だったという印象」「技術が進んだという納得感」といった、感情ベースの説明ばかりです。
そして、こうした情緒的な説明は、実は非常に危険です。市民が“便利そう”というイメージだけで判断してしまえば、税金の使途や業務効率の見直しといった本来の議論が全て置き去りにされてしまいます。