ニュースの概要
2025年6月5日、埼玉県の川越地区消防局は、管理職の消防職員が勤務中にスマートフォンでオンラインゲームを行っていたとして、同日付で戒告の懲戒処分にしたと発表しました。
この職員は、管理監督中に約1時間にわたりゲームをしており、情報提供により発覚しました。また、他の複数の職員も同様の行為に関与していたことが判明し、全員が厳重注意を受けました。
この問題について、当該職員は「深い考えはなく、軽率な行動だった」と述べています。消防局は「市民の信頼を損なう行為であり、再発防止に努める」とコメントしています。
氷山の一角に過ぎない職務怠慢
このような事案は、氷山の一角に過ぎません。実際には、勤務中に漫画を読んだり、ゲーム機を持ち込んで遊んだり、マッチングアプリに熱中したり、資格試験の勉強をしている職員が存在します。
これらの行為は、消防職員としての職務を全うしているとは言えず、組織全体の規律の乱れを示しています。
内部通報がないのは、これらの行為が違法であるという認識が欠如しているか、または組織全体で黙認されている可能性があります。このような状況では、職務怠慢が常態化し、市民の安全を守るという本来の使命が果たされなくなります。
「やってるのはあいつだけじゃない」組織ぐるみの黙認体質
今回のニュースにおいて対象となった管理職職員は、あくまで発覚した“表面上の一例”にすぎません。現場の実態としては、これと似た、あるいはもっと露骨な勤務中の私的行動が、当たり前のように行われていることを多くの消防関係者が肌で感じているはずです。
例えば――
「今日は読むぞー!」と20冊の漫画本を机に積んで読書に耽る職員。
「今日はこれやろう!」と堂々とゲーム機本体を持ち込む職員。
勤務中にも関わらずマッチングアプリを開いて“いいね”を送り続ける職員。
ひたすら資格試験のテキストを開いて勉強する職員――。
こうした行動が、庁舎内の日常風景として成立してしまっているという現実があります。
内部通報がない理由:知識の欠如か、全員グルか
この手の問題がなかなか表面化しない理由の一つは、「違法性の認識がない」ことです。
消防職員の多くは公務員としての倫理や服務規律の教育を受けていますが、その内容が形骸化しており、「勤務時間中に私的行為をしてはならない」という基本原則すら、日々の実務の中では忘れ去られているのです。
もう一つの理由は、“全員でやっている”という共犯性です。
誰か一人が私的行為に手を染めたとしても、周囲が同じようにやっていれば、それを問題視する感覚は麻痺します。こうして、違法性・規律違反が「普通のこと」として日常に溶け込んでいくのです。内部告発が起こらないのは、「言ったら自分もやばいから」「周りから浮くから」「面倒になるから」という理由が多数派だからに他なりません。
管理職すら参加していた:もはや機能不全の証
今回の事案が深刻なのは、組織の統率を担うべき管理職が主犯だったという点です。
「管理監督中に1時間オンラインゲーム」という行為は、単なるルール違反ではなく、「部下に示すべき模範を完全に放棄した行動」といえます。
しかも、その場に複数の職員がいて、一緒にゲームをしていたというのですから、事態は組織的な“馴れ合い”の域に達しています。勤務中に職場全体が娯楽に興じている状況が存在していたということであれば、それはもはや「機能不全」以外の何物でもありません。
「深い考えはなかった」というコメントは、責任逃れではなく、文字どおり“深く考える力が欠如している”組織風土を物語っています。
消防という“信頼ビジネス”でこの行為は致命的
消防という組織は、市民の命を守るために存在しています。いざというときに出動し、緊急事態に対応する、その信頼があってこそ市民は安心できるのです。
ところが、その裏側でスマホゲーム、漫画、資格勉強、恋活アプリが横行しているとなれば、どうでしょうか。
万が一、119番通報の裏で現場が手薄だった理由が「全員でゲームしていたから」だったとしたら?
搬送が遅れた理由が「資格試験の勉強に集中していたから」だったとしたら?
このような信頼を根底から揺るがす行為が現場で黙認されているという事実を、我々市民はもっと深刻に受け止めるべきです。
表面処分だけでは何も変わらない
川越地区消防局は「厳正に対処した」と発表していますが、果たしてそれは本当でしょうか。
当該職員への処分は「戒告」、つまり最も軽い処分の一つであり、形式的な注意にとどまっています。
他の関係者に対しても「厳重注意」にすぎません。この軽さからは、組織として本気で自浄作用を働かせようという姿勢が感じられないのです。
一人の管理職がゲームをしていたことだけを取り上げて、「再発防止に努める」などと発表しても、それはあまりに表面的です。問題の本質は、それが“日常”だったこと、周囲も黙っていたこと、誰も問題と認識しなかったことにあります。