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「英断」と評価されること自体が異常な消防組織の現実

岐阜市

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ニュースの概要

 岐阜市消防本部は、職員による軽油の不正使用が発覚したとして懲戒免職処分を発表した。対象となったのは55歳の職員で、2024年7月から2025年2月にかけ、計4回にわたり署に保管されていた軽油を自家用車に入れていたという。

 使用された量は合計30リットル。軽油は夜間出動などの際に消防車へ補充するため、携行缶に保管されていたものだ。

 この職員は「自分の車の燃料が減っていたので借りるつもりだった」と話しているが、当然ながら許される行為ではない。市はこの行為を公用物資の窃取と判断。

 市の処分指針には、公金や公用物資の窃取は免職と定められており、それに基づいて処分を下した。また、この職員の指示で携行缶の運搬を手伝った50歳の部下も停職6か月の懲戒処分とされた。

処分の評価

 この「免職処分」を巡って注目すべきは、規定に則った当然の判断であるにもかかわらず、全国の消防組織の処分実態からすれば例外的に厳格だった点である。

 というのも、各地の消防本部では、類似の不正行為であっても「停職1か月」や「減給」「戒告」にとどまるケースが少なくないからだ。

 本来ならば、公金や公用物資の不正流用に対しては厳しい処分が当たり前でなければならない。
 ところが実際には、内部の甘さと仲間内の擁護体質が先立ち、処分は軽く済まされてきた。

 そうした状況を知る立場からすると、今回の岐阜市消防本部の判断は「例外的に厳しい」と受け止めざるを得ない。

 つまり「免職処分」が当然であるはずなのに、それが「英断」と評されてしまうのだ。ここにこそ、消防組織の異常さが表れている。

「英断」と評価せざるを得ない異常さ

 今回の件で市が行った処分は、規定に照らせば至極当然のものである。燃料を自家用車に流用した職員が免職となるのは当然の帰結であり、本来であれば特別視する必要はない。

 しかし、他の消防本部の慣行を考えれば、こうした当然の処分が「珍しい」「英断だ」と評される。

 この逆説的な状況が、消防組織全体の規律意識の低さを浮き彫りにしている。免職という処分が称賛の対象となるのではなく、それを当然のこととして受け止められない社会的風土にこそ問題がある。

 要するに、今回の件は【免職が当然であるのに、英断と評価される異常さ】を象徴している。消防という組織が、自らの規律を緩め、仲間意識を優先させてきた結果、社会の常識から大きく乖離しているのだ。

組織の在り方が問われる

 消防という仕事は「市民の生命・財産を守る」という使命を掲げる。そのためには高い倫理観と規律が不可欠である。

 ところが、内部の規範意識が弛緩すれば、組織そのものが市民の信頼を失墜させることになる。

 今回の件を「過酷な仕事だから」といった情緒的な擁護にすり替えてはならない。

 問われているのは【組織の規律と責任の所在】である。規定通りの免職処分を下した岐阜市消防本部は、全国的な基準からすれば厳格な判断を示したといえる。

 しかし、その事実が「英断」と受け止められる状況こそが異常である。

市民にとって必要なのは、今回の件を例外的な出来事と片づけることではない。むしろ、この「英断」が特別視される異常な状況を直視し、消防組織の体質がいかに社会常識からかけ離れているかを理解することである。

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