実際には存在しない「誹謗中傷」
2025年に発生した道頓堀火災で2名の消防職員が殉職した報道を受け、ネット上には「誹謗中傷はやめてほしい」というコメントが散見されました。
しかし、実際にYahoo!ニュースのコメント欄やX、YouTubeを確認すると、殉職した消防士本人を貶めるような言葉は見当たりません。
一部には日本語が破綻した過激な書き込みもありましたが、それは消防士個人に向けたものではなく、むしろ社会全体や日本という国家への漠然とした不満の吐露でした。もしかしたら日本人ではないのかもしれません。
つまり、ネット上で目立っていたのは消防組織の体制や過去の違反放置への批判や評価であり、殉職者を中傷する声とは区別されるべきです。
組織の批判や評価を「誹謗中傷」とすり替える危うさ
問題は、この組織や制度への批判や評価までも「誹謗中傷」とラベリングし、封じようとする動きです。いや、意図して封じようとしているならまだ救いようがある。そうしていることに気が付かない、認知レベルであることが非常に危険だ。
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例えば「違反建物を放置した消防本部の責任は?」とか「屋内進入時の指揮系統は機能していたのか」という真っ当な指摘に対してまで、「亡くなった消防士を侮辱するな」と反論が返されることがあります。
しかし、殉職者への敬意と組織への正当な批判や評価は本来まったく別の次元のものです。ここを混同すると、
- 行政や消防の不備を指摘する声が潰される
- 本質的な原因追及が進まず、再発防止策が形骸化する
- 結果的に同じ悲劇を繰り返す土壌を組織が温存する
といった重大なリスクを生みます。
「正義感」の裏にある自己防衛
さらに見逃せないのは、【誹謗中傷をやめろ】というコメントの一部が、実際には組織の責任を矮小化するための“自己防衛”として機能している点です。
特に消防本部の職員や関係者が、制度や管理体制の欠陥を問われることを避けたいあまりに、あたかも「市民が殉職者を攻撃している」かのように話をすり替えている可能性があります。
その結果、本来は制度的な欠陥を是正すべき議論が、感情的な攻撃を止めろという声にかき消され、組織の責任がうやむやになる恐れがあります。
批判や評価を封じることは再発を招く
消防士の殉職は痛ましい出来事であり、誰も軽んじるべきではありません。しかし、だからといって組織に向けられた正当な批判や評価までを「誹謗中傷」と一括りにしてしまうことは、社会全体にとって危険です。とはいえ、現場経験から、消防職員にそれをする能力がないのは十分承知しています。
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誹謗中傷と、組織的な不備の指摘とは違う。この点を見誤れば、問題の本質を隠すことになります。
再発防止のために必要なのは感情的な反発ではなく、組織の仕組みや責任のあり方を冷静に問い直す姿勢です。