現場の事実
2025年8月18日、道頓堀北側の雑居ビル群で発生した火災により、浪速消防署の隊員2名が殉職した。
建物内では天井の崩落と退路喪失が生じ、6階付近で発見・搬出後に死亡が確認されたと報じられている。
また、当該2棟は2023年の査察で6項目の消防法令違反が指摘され、4項目は未是正だったことが確認されている。
訓練はやっている。だが、その中身と適用が問題だ
現消防士と元消防士でこれらを擁護する者の多くは日々の厳しい訓練をしているで終わる。
しかし、ここで強調すべきは、日本の消防が実施している訓練は救助技術指導会のような競技系ばかりであるということ。
とはいえ、それ以外の訓練も十分ではないが、消火訓練、救助訓練は行われている。
各消防署では4~5名編成の小隊で屋内進入・検索・搬出を想定した進入訓練が多数、反復的に行われている。
にもかかわらず、今回のように連結構造・延焼・崩落が絡む局面では、いくら小隊スキルを磨いても避けられない事故の条件が発生しうる。
そして、人間は反復で身につけた行動ほど現場でやりたくなる。
小隊の進入訓練を重ねてきたからこそ、実戦で踏み込みを選好してしまう適用バイアスが生じる。
ここを直視しない礼賛は、ただの思考停止である。
ただ、消防職員の多くがこの思考に陥ってしまうのにも納得の理由がある。
参考記事 なぜ消防職員に発達傾向の人が多くなるのか|「適応」が再生産される組織の構造的問題
参考記事 優秀な人材が去り、無能が残る:消防組織の深刻な人材流出問題
見える訓練に偏り、見えない統制が痩せる
タイムや手技で成果が可視化できる訓練は、評価も広報も容易だ。
一方、複数隊・複数署・複数棟を束ねる、投入順・区域分担・通信規律・情報統合・退路の二重化・撤退トリガーといった指揮統制の訓練は、成果が見えにくい。そのため、評価につながりにくいため、出世にもつながらない。
今回の火災にも周辺の複数の消防署から消防隊や救助隊が駆けつけている。
普段は一緒に訓練することのない人たちが現場に集まったということである。統制が取れないのも仕方がないことである。
この点については、2005年ころから課題ととらえられることも多くなり、マニュアル化されたり、複数の消防署が連携して訓練する機会も増えた。しかしながら、その訓練も年に1~2回程度であるうえに、どうしても火災訓練よりも、化学事故による集団救急とか、多重事故による多数挟まれ事故みたいなのが多くなっている。
成果が数字になりにくい分、意思決定層の関心も薄れ、現場の資源配分が偏りがちになる。結果として屋内進入して検索する技術ばかりが濃くなり、全体を制御・統制する仕組みが痩せる。
この偏りが強いほど、大規模な火災が発生した際に、予期せぬ被害が発生しやすい。
今回の条件が要求したもの
報道が示すのは、崩落・連結・延焼という構造的に危険な条件である。
こうした環境では、小隊の勇敢さより先に、統制側が進入の許可条件、活動中止のトリガー、進入口と退路の冗長化、要員交代計画、情報集約と共有線を明確化し、現場で機能させることが生命線になる。しかしながら、こういった見えにくい技術を訓練として実施しても、現在の消防組織では出世という意味で何の評価にもならないので、ほとんど行われないのが実情である。
そして、消防職員は救助技術指導会とか小隊訓練といった、評価につながりやすい訓練ばかり実施してしまうのである。
参考記事 消防救助技術指導会の功罪|競技化された訓練と現場力低下の危うい関係
個々の熟練が高くても、統制が破綻すれば被害は拡大する。
擁護論者への問い
訓練している、命がけだで議論を止める現役消防士や元消防士は、再発防止の障害をしていることに気付くべきだろう。つまり彼らは、次の殉職者を出すための活動を行っているということだ。消防士を殺したいと思っているとしか思えない。
当事者意識があるなら、まず資源配分を改めるべきだ。
火災を無くすことはできないし、法令違反という犯罪をなくすことも容易ではない。
しかしながら、自分たち消防士の意識や戦術を変えることは、今この瞬間からできるのだ。
小隊進入の反復は維持しつつ、少なくとも同等以上に、多隊統合・撤退判断・退路冗長化・通信規律・情報統合の訓練の実施を増やし、それらを評価を重くするべきである。というより、訓練を評価すること自体が間違っているとも思うが。
それができないなら、責任をもって公益のために現場から退く、つまり不適格を自覚し退職する選択もあるはずだ。
殉職を悼むことと問題を直視することは両立する。称賛では人は守れない。
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法令違反の建物だったから不運という言い回しは、検証を停止させる危険な逃避である。
違反があるからこそ、統制側の進入条件を厳格化し、撤退トリガーを低めに設定すべきだった。
結びに
今回の火災は、勇敢さが足りなかった出来事ではない。
むしろ、勇敢さを安全に担保するための統制の未成熟が露呈した出来事だ。
防火服の防火性や耐熱性能、保護性能の進化とともに、小隊としての進入訓練は多数行われ、スキルは向上してきたはずだ。いわゆる銀長靴世代と呼ばれる50代の消防職員よりも、セパレート型防火服のネイティブである30代の消防職員の方がスキルは高いはずである。
参考記事 日本の消防用防護服の変遷
それでも避けられない事故がある。
そして、訓練で繰り返しやってきたがゆえに現場でやりたくなるという人間の傾向が意思決定を前のめりにする。
擁護ではなく点検を。
礼賛ではなく線引きを。
殉職を悼むなら、そこから始めよう。
ここまで書いても理解できない消防職員も多い。それには理由がある。
参考記事 優秀な人材が去り、無能が残る:消防組織の深刻な人材流出問題
これは単に地方の消防本部単体の問題ではない。日本中の消防本部で起こっている異常事態なのである。
論点をずらし建物検査を実施している消防本部や、この期に及んで救助技術指導会の成果を報道機関に投げ込みしている消防本部、訓練もせずにスマホの前で踊りながらInstagram等のSNSに投稿をしている消防本部が数多くある。
参考記事 特別査察の違和感 殉職火災後に行うべきは査察ではなく戦術検証
参考記事 【Instagram】なぜ消防は踊り、歌うのか?──広報活動に隠れた組織の本質【インスタ】
もしも消防職員を志しているような人が見ているのであれば、殉職者を複数回出している消防本部はもちろん、上記のような消防本部も避けるべきであろう。
なぜなら、そういった消防本部はすでに優秀な人材が去り切った後の消防本部なのだから。
そして、こういった頑ななまでに擁護する人たちは、自己肯定感も高く、自らに向けられた是正を促す否定に耳を貸すことが出来ないほどに発達上の問題を抱えているため、まともな感覚をもった消防職員は激しく居心地が悪くなるのだ。つまり、ある側面においては、彼らこそが消防組織を腐らせ、法令違反を放置し、無謀な消火救助活動を称賛して被害を拡大させる存在なのだ。
今回の火災に対して冷静に活動の全体像を俯瞰で捉えて否定的な視点を持った人が退職に追いやられないことを望むばかりだ。
参考記事 優秀な人材が去り、無能が残る:消防組織の深刻な人材流出問題
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